ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈8.変革の鐘の響き〉
久しぶりにぐっすり眠れたような気がする。心地よい気分で腕を伸ばすと、右手の先に何か触れた。無意識のうちに指でそれを掴む。長くしなやかな髪の毛。
『あれっ? わたしの髪の毛ってこんなに長かったっけ?』
指通りの良い髪の毛を、つい、と引っ張ると、自分の頭から生えていないような違和感。同時に右肩に暖かい感触が。
『えっ!?』
右に首を回すと、目を凝らして見るまでもなく、わたしの隣に人間が寝ている。寝ぼけているのかしらと思いつつ、横ずさりしながら、少し身を起こしながら、誰なのか確認しようとすると、その人間がこちら向きに寝返りを打った。見た事のない人物である。
鼻筋の通った色白の顔、長くて黒い睫毛、形の良い唇、漆黒の長い髪が縁取る、神々しいまでの美人。まじまじと見つめていると、その長い睫毛が静やかに身を起こして、美しい瞳が姿を現した。その瞳はわたしを認識するや否や、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。
がぁ~ん!! 衝撃がわたしの瞳を貫いて、その瞬間、状況判断は彼方の空に吹っ飛び、魅入られたように、凍りついてしまった。
その美人は、状況には一切頓着せず、俯きの体制に緩やかに身を起こすと、両手を踏ん張りながら、体を後ろに反らせて、大きく口を開け、大きな大きな伸びをした。長い髪が背中でふるふると揺れ、しなやかなその仕草は、草原に生きる猫族のよう。
「おはよう、まぁや」
が、がぁ~んん!! 第2波の衝撃がわたしの理性を揺るがした。
「どうかしたの? まぁや?」
どうかしたと言う次元を超えた事態に声もでない。・・と、その美人がいきなり、つ、と顔を寄せて、わたしの頬に頬をスリスリして、暖かい舌で舐めたのである。
「!!?」
「大丈夫?」 と、わたしの顔を覗き込み、
「あれっ? なんだか変だよ。まぁやの顔、小さくなったみたい」
そして、右手でわたしの顔を優しく撫でると、
「えっ?」 と、びっくりしたように自分の手を見つめる。
右手を開いたり閉じたり。さらに、左手を握ったり、振ったり。
「どうしたんだろう。僕の手、人間の手みたいに見える」
戸惑った様子で、救いを求めるようにわたしを見る。衝撃を振り払って話そうとしてみたが、状況判断する脳味噌がどこかに吹っ飛んでいるので、もどかしくも話す言葉が見つからない。
「あっ、そうだ! もしかすると・・・。ねぇ、まぁや。僕、人間の言葉を喋ってるよ。そうでしょ?」
「・・・」
「すごいね。僕、人間になったんだ。この手も僕の手。まぁや!」
いきなり飛びついてきて、抱きついた。ふわっと柔らかい感触が何かを思い起こさせて、理性のかけらが戻ってきた。
「ハンサム?」
腕を振りほどくと、自分自身でも信じられないまま、聞いてみる。
「うん。そうだよ。僕、人間の『ハンサム』になったんだね」
夕べの出来事が蘇る。そんな、まさか。ありえない。と、思いながら、慌てて引き出しの中を確認しに行く。カプセルの中に戻しておいた石は形もなく、さらさらと砂の様なものがこぼれ落ちた。一体、こんな事が!? 幾つもの否定の言葉がよぎったが、目の前のひとつの真実に圧倒された。
「本当に、猫だった『ハンサム』?」
「うん。僕、夕べまでは猫だった。今日は人間のハンサム。まぁやの願い事が叶ったんだね。嬉しい?」
嬉しくないと言えば、嘘になるが・・・。頭の中は事態の認識と収拾方法の模索を試みていた。
「まぁや、僕お腹すいたよ。早く起きて。朝御飯食べたいよ」
そう言うと、『ハンサム』は台所に行こうとして、ベッドから身を起こして立ち上がった。『ハンサム』は雄猫だったので洋服は身に着けておらず、かくして、第3の衝撃波は家中に響き渡った。
その時、我が家には父と母と、兄と、弟と、家族全員がそろっていたわけで、何事にも優等生であるわたしが、はしたなくもあげた奇声は、我が家にとって、変革の時の始まりを告げる鐘の響きのようであった。
「どうかしたの?麻也?」
母が階下から声を掛けてきた。ドアから顔を出して、
「大丈夫。今日提出する課題を忘れていただけよ」
と、叫ぶと、みんなの聞き耳と興味が自動的に収束していく様子が見て取れる。優等生のわたしが課題を忘れる事など考えられないという状況があって、納得してもらえたのかもしれないが、年頃の娘があげた叫び声に対する反応にしては少々納得いかない。とりあえず、危機は回避出来たものの。






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