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2008年1月

ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈46.祐希の勇気〉

 四月、孝之は入った大学が遠いので下宿生活に入り、麻也は通学時間はかかるものの自宅通学する事にした。

 ハンサムは、事件で知り合った神楽坂穣に紹介されて、建築現場での仕事をするようになった。

 勇気は6年生になった。担任が変わり、組替えがあり、例の二人組と別のクラスになった事もあったが、学校に行くようになった。

「幸坂君てすごいね。ず~っと学校に来てなかったのにテストが満点なんて」

「それほどでもないよ」

「あっちの方は大丈夫なの?」

「今のところはね」

「河合さんの事知ってる? あの子、最近学校来なくなったんだって。噂では苛めが原因らしいって」

 河合優奈は学級委員をしていたので、先生から依頼されて、時々祐希を学校に誘いに来てくれていた女の子である。

 学校の帰りに祐希は河合優奈の家に寄る事にした。優奈の家に寄るため、いつもの帰り道を外れると、例の二人組に出くわした。

 小さい方が久野雄二、大きい方が植野源太。雄二の父が、源太の父の会社の社長をしている。源太は腕っぷしが強く、小学校の中では皆に一目置かれていて、逆らうものはいない。が、その源太も雄二には頭が上がらない。と、そういう間柄の二人だ。

 祐希が苛めに遭ったきっかけというのが、雄二が、クラスのアイドル芳川芙羽果との交際をかけてテストに臨んだのに、祐希にトップを奪われた事だった。

 祐希にとっては全く知らない事で、謝ったにもかかわらず、雄二は源太に命令して祐希にヒドイ事をさせたのだ。それ以来、使い走りや登下校の鞄持ち、雨降りの日に靴の泥を祐希の服で拭かせたり、大人の見ていない所で、ちくちくと苛めるようになったのだ。ちょっとでも逆らうと、脅迫や源太の暴力が待っていた。

 父は仕事大事で子供の教育は母任せだし、母に話せば、事が大きくなって、かえって事態が悪化する可能性が高い。悪化すれば、他の皆ともやっていけなくなる危険性が大きい。

 担任の教師に相談しようと考えた祐希だが、他の生徒が苛めの相談をしている様子を聞いてしまった。

「それは、君にも原因があるんじゃないかな? 良く考えてごらん。君が変われば、きっと相手だって苛めなくなると思うけどな。僕は君の味方だから、もし、また何か言われたりしたら、その時には、相手も呼んで一緒に話し合ってみる事にしようよ」

 おまけにその担任の教師が放課後の教員室で他の教師と小声で話しているのも聞いてしまった。

「まったく、最近の子供は精神的にひ弱ですよ。僅かな事で苛めだの、暴力だの、教師泣かせです。親の手前、そう言うわけにもいきませんけどね」

「そうそう、両方の親ともすぐに騒ぎますからね。マスコミに出ないよう、ついこちらも押さえ込みたくなるってもんですよ」

 クラスのみんなは源太の力の前に一様に口を閉じている。担任の教師は被害者の気持ちよりも、苛め対策をしているという建前を見せたいだけの偽善者だ。居場所はない。そう感じた祐希は学校を捨てる決断をしたのだった。

 学校に行けば苛められると分っていても、優奈には責任がないのに、誘いに来てくれるのを拒むのは悪い、と考えていた祐希だった。が、優奈があいつに苛められているとしたら、もしかすると自分の事と関係があるのではないか。自分の責任もあるのでは、と思った。

 怖くないと言えば嘘になる。雄二と一対一だったらなんとか互角に戦える。でも、源太は破格の強さで、とても無理だろう。

 祐希は、銃を持つプロの誘拐犯に素手で向かっていったハンサムの事を思った。周りの者がバカにしていても、泰然として笑っているハンサムの、もしかしたら本当の強さを考えた。僕にも出来るだろうか。

「よう、祐希じゃないか。自分から進んで鞄持ちに来てくれたのか?」

「違うよ。聞きたいことがあるんだ。河合さんの事だけど、君、何かした?」

「へぇ、何だ偉そうに。ちょっと場所を変えようぜ」

 三人は近くの神社の境内に入った。そこは最近神主が病気で入院してから荒れ果てて、誰も足を運ぶ者がいない場所だった。足がガクガクと震えるのをこらえながら、祐希は言った。

「河合さんに何かした?」

「何もしていないよ。ちょっとからかってやっただけさ」

「やっぱり、何か悪い事してるんだ」

「だったらどうする?」

「僕の事と河合さんは何の関係もないだろ。やめろよ」

「こっちの勝手だよ。それともやる気か? おい、源太、ちょっと痛い目にあわせてやれよ」

「僕は源太君と戦う気はないよ。源太君、僕は今まで君に何もしていないだろ? 君はどうして雄二の言う事を聞かなくちゃならないの? 何にも理由なんかないじゃないか。

 君は学校で一番強いし、誰だって君には一目置いているよ。雄二なんかよりずっと強いのに、いつも言う事ばかり聞いていたら、君の方が弱いんじゃないかって勘違いする人が出てくるよ」

 源太は驚いて、ちょっと考える目つきをした。こいつ、今まで、オレには何もいえない弱虫だと思っていたが、結構言うじゃないか。

「そんな事言ったって無駄だよ。僕のお父さんは社長なんだ。こいつの親父の首を切る事だって出来るんだぜ。こいつはオレのいうままさ」

「親同士の事なんて関係ないよ。自分の力が無いものだから親の力を使って君を脅迫してるんだよ。脅迫に負けるのかい? 源太君のお父さんだって、きっと、君が脅迫なんかに負けない強さを持っている事を自慢に思うと思うよ」

 源太は親父の事を常々気にして雄二に合わせていたが、雄二にあからさまに言われて、さすがに嫌な気分になった。そこへ祐希の言葉が重なった。『脅迫に負ける』 『自慢に思う』 という言葉が源太の自負心を動かした。親父もオレが強いことをいつも自慢してくれている。

「分った。オレは関係ないんだから、お前達が自分で戦え」

「おいっ、源太!」

「そうら見ろ。自分は弱いもんだから源太君がいないと何も出来ないんだ。悔しかったらひとりで僕と戦ってみろ」

「いいのかっ? あの写真をばらまいてやるぞ」

「やっぱりお前は弱虫だ。そんな事で脅迫するのは力がないからだろっ。やるならやってみろ。僕もみんなに言ってやる。お前は僕が怖いから戦わないで逃げたって。源太君が証人だ」

「なんだとぉ。お前なんか怖くないぞ。よぉし戦ってやる。こいっ」

 夕日が落ちかかった春の夕暮れ、祐希は優奈の家を訪れた。優奈はあちこち擦り傷や切り傷、打ち身だらけの祐希に驚きながら、手当てしてくれた。

「ごめんね。僕を学校に誘いに来てくれてばかりに。でも、もう大丈夫だよ」

 と言って、祐希は雄二から取り返した写真を優奈に手渡した。写真を見ると、さっと隠してパッと赤くなる優奈。

「写真の元も消させたから、もうばらまいたり出来ないよ。源太君も悪かったって言っといてくれって」

 写真を握り締めて黙ったままの優奈に、

「僕なんかさ、お尻にバッテンの印を付けられたりしたんだ。言う事を聞かないとその写真をばらまくって。でも、もう平気さ」

「平気って、雄二君がしゃべったら噂になるのに? 皆に笑われたり、今度は大勢にひどい事言われるようになるかもしれないよ」

「何言われたって平気さ。僕は何も悪い事なんかしていないんだもの。それに、僕、あいつと戦って勝ったんだ。それ、破ってしまいなよ」

 優奈は、転んでスカートがめくれ上がり下着が見えている写真を細かくちぎり破いた。

「学校出てこない? 僕は河合さんの味方だよ」

 優奈に見送られて、祐希は家路についた。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈45.旅立ち会〉

 事件が一件落着して、幸坂家の朝食風景に落ち着きが戻ってきた。

 父は事件の経緯をつぶさに聞いたわけではないが、ハンサムが危ない集団の一員かもしれないと、心配の種が増えた様子で、ハンサムに対する態度が腫れ物に触るような感じに変化した。

 母はハンサムを引き取る際に、世界のCIAと警察相手に自分の領域を発揮する事が出来て満足して、多少は家事もするようになっていた。

 孝之は最初、ハンサムが帰ってきたらぶん殴ってやろうと思っていたが、麻也を助けに行った功績を評価し、自分もそうありたいと、対等に近い扱いをするようになった。

 祐希はただただ、ハンサムが無事帰ってくるのを待っていたが、のほほんで特別な力も能力も無いハンサムが麻也を救いに行った勇気に感じ入った様子だった。

「フランソワ、今頃どうしているかしら」

 夜、ベッドの端から顔を出して、下の布団で寝ているハンサムに、麻也が話しかける。

「大丈夫だよ。彼女は強いから、どこへ行ってもやっていけると思う」

「ごめんなさいね。わたしのせいね」

「ううん。違うよ。僕、いろいろと考えたんだ。フランソワが僕に言った言葉や、矢城刑事さんに言われた言葉。ずっと一人だけでいた時、僕、麻也に逢いたかった。麻也の所に帰りたかった。フランソワはその事に気づいていたのかもしれない」

「え?」

「僕、麻也の所に帰りたかったんだ。だから、フランソワが行っちゃったのはきっと僕のせいだよ。麻也のせいじゃない。ねぇ麻也、手をつないでもいい?」

 布団の端とベッドの端から伸ばすふたりの手がつなぎあわされる。

「あったかい。麻也の手。僕を撫でてくれた麻也の手。僕、猫だった時から大好きだったよ」

 それだけ言うと、ハンサムは眠りに落ちた。麻也はハンサムの手を静かに布団の中に入れてから、ベッドに戻ると、ハンサムとつないだ方の手をもう一方の手で包みながら、眠りに入った。

 入試と卒業式があっと言う間に過ぎた。そして、麻也はもちろん、孝之も、尾之多博行も、森岡聡史も、跡宮由香も志望校に入ることが出来た。

 入学前の空白時、卒業した生徒会仲間だけで旅立ち会をやろうという事になった。

「ねぇ、幸坂さん。今はどんな状態なの? 親公認の同棲状態だったりする?」

 遠慮の無い質問をする由香の頭を博行がコップの底で小突いた。

「いいかげん、恋愛レポーターはやめろよ」

「そう、そう。人の事より自分の相手を探す事に身を入れたら?」

「それ言われると弱いのよね」

 由香のおどけた表情に、ひとしきり笑いが入る。

「でもさ、幸坂さんすごいよね。あんな事件があったのに、ぶっちぎりで医学部合格だもの」

「普段の努力の賜物よ。それより、片腕で入試突破した尾之多君、すごいわ」

「もちろん、普段の努力の賜物だ」

「入試前に銃をいじるかね、フツー」

「フツーじゃないのが取り柄だからな」

「言えてる。っていうか、ここにいるみんな、フツーじゃないかも」

「そうそう! 受験生なのに生徒会活動してたってトコが!」

「いよいよ、大学生か。みんなそれぞれの道を進むんだな」

「そうだな。長かったようで短かったような高校生活だった」

「僕は充実してたと思う。愛と勇気の三年間だった」

 そう言う聡史を、ほぼ全員がびっくりして見ると、

「成長したからね」 

 と言って、肩をすくめてみせた。どっと笑いが拡がる。

「またいつか、会えるといいね」

 皆で言い合って別れると、麻也と博行、聡史の三人は一緒に帰途に着いた。

 博行は麻也に、持ってきていた制服の第2ボタンを渡して言った。

「あいつがお前を泣かしたりしたら、このボタンを握って三度僕の名を呼べ。すぐに駆けつけるからな」

「無線機でも仕込んであるの?」

「冗談だよ。僕の愛は永遠不滅って事さ」

「麻也さん。僕のも持って言って下さい」 と、聡史も渡す。

「僕のは一個しかない本物です。尾之多君は大勢の女生徒に渡していたから本物かどうか分りませんよ」

「なかなか言うじゃないか、聡史」

「僕はこれでも、麻也さん救出に役立ったと、刑事さんに言われました。麻也さんがピンチの時に猟銃で遊んでいた君とはココが違います」 と、言って、胸をたたく。

「ふんっ。みんなに渡すためにわざわざボタンを買い集める苦労なんかお前には分るまい」

「ふたりともありがとう。いい思い出になるわ」

「もう一つ、これは救出に役立たなかったお詫び。こっちには無線機がついているから、出来たら常備するように」

 と言って、博行が麻也に小さな包みを渡す。拡げると、ヘアピン飾りが入っていた。

「あ~っ! そんなのあり? ずるいよ、尾之多君」

「お前は役に立ったからいいじゃないか」

「森岡君ありがとう。刑事さんから聞いているわ」

 手を差し出す麻也。両手で握り返して、勢い良く振って満足する聡史。

「それからこれは月影に渡しといてくれ。矢城刑事からのプレゼントだ。いつも身に付けるようにって言っていたと伝えてくれ。麻也、いつでもどこでも連絡OKだからな」

「もちろん、僕もです」

「ありがとう、尾之多君、森岡君」

 手を振って、三人は別れた。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈44.千客万来の病室〉

「どうぞ」

 病室をノックする音に、世界史の本を膝の上に置いて博行が返事する。麻也が白い薔薇の花束を持って入って来た。

「体の具合はどう?」

「このぐらいどうって事ないさ。明日にはもう退院する予定だ」

「今さっき、矢城刑事さんに会ったわ。ここへ来たのかしら?」

「ああ、噂どおりのタヌキ親父だな。ろくでもない事を聞き込みしていったよ」

「ニセハンサムの顔はもう忘れたって言ってくれたわ。わたしとハンサムも大丈夫よ」

「なんの事だい?」

「あの時は本当にありがとう」

「僕は何もしていないよ」

 麻也は博行のベッドに近づくと、博行の手元に花束を置いた。そして博行の右手の上に自分の両手を重ねた。びっくりして麻也を見る博行。麻也は真っ直ぐに博行の目を見て言った。

「わたし、あなたの恋人にはなれないけど、でも、あなたの気持ちが真実だって事は信じているわ」

 博行は黙ったままうなずくと、照れているのを知られたくなくて視線をうつむける。

「右腕は大丈夫だから入試は受けられるわね?」

「ああ、楽勝さ。お互いに頑張ろう」

「ええ。じゃあ、お大事に」

 麻也が出て行くと、博行は白い薔薇の花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

 ほどなく、一人の妙齢の美人が華やかな花束を持って病室に入って来た。

「具合はどう? ヒロ君」

「明日にはもう退院だよ」

「今さっき、牛若丸さんに出会ったわよ。あっ、じゃあその花束は彼女ね?」

「その呼び方はやめろよ」

「あらっ? ヒロ君、何かあったのね?」

「別に何も」

「うそっ。そんな純情そうなヒロ君見るの初めてよ」

「本当に何もないってば」

「隠してもダメよ。こうみえてもわたしはヒロ君の事を誰より知っているつもりよ。ちょっと悔しいわ。だって、ヒロ君には絶対落とせないって思っていたから」

「そうなのか?」

「ええ! ヒロ君と彼女、同類でも鎧の種類が違うから、ヒロ君では絶対無理だと思っていたわ。プライド捨てて襲っても逃げられちゃったしね」

「もしかして、僕が襲うかもしれないって思っていたのに手助けした?」

「ぅふっ。そう。王子様が現れなくても失敗すると思っていたわ。だってヒロ君、本気であの娘の事、好きなようだったから」

「みくびられたもんだね」

「いい意味でね」

「紗矢はどうしてる?」

「今日は母が来ているの。久しぶりの孫孝行よ」

 その時、病室にノックの音が。はい、の返事にドアが開くと、鷹野美緒が赤い薔薇の花束を持って立っていた。

「じゃあ、わたし、この花を生けてくるわね」

 と言って、白い薔薇の花束と、自分が持ってきたブーケを持って病室を出て行く。

「お邪魔だったのかしら?」

「気にしなくていいよ。単なる知り合いさ」

「腕の方は大丈夫なの?」

「ああ。入試に差し支えはない。明日退院する」

「わたし、幸坂さんにヒドイ事してしまって。怒ってる?」

「後悔してる?」

「いいえ。あれで気が済んだわ」

「じゃあ、その話は済んだ事にしよう」

「怒っていないの? どうして?」

「君とはいい友達のまま卒業できると思うから」

「そう、友達なのね、わたし。でも、わたしには、」

「湿っぽい話はやめようよ。最初に知り合った時のままの君がいいな。明るくて、小さな事を気にしない、対等が好きな君が」

「分ったわ。卒業しても忘れないでいてくれる?」

「友達だもの」

「ありがとう」

 鷹野美緒が病室を出て行くと、花瓶を抱えて先程の美人が入ってくる。

「ヒロ君、向こうから女子高生の集団が来るのが見えたわよ。千客万来ね」

「ちょっと面会謝絶の札を付けておいてくれる? これじゃ、ちっとも勉強できやしない」

 用意してあった札を渡す博行だった。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈43.誘拐人質事件の結末と救世主のご褒美〉

 ニセハンサムの車から放り出されて、矢城がCIAの仮事務所の方に行くと、仮事務所のあるビルの周りは騒然としていた。消防車が出動してモウモウと煙を上げる事務所の部屋の辺りに放水中だった。

 結果的にこの件は放火と報道された。僅かな関係者以外に、誘拐事件との関連を疑う者はいなかった。

 誘拐人質事件は、犯人達がアジアを根城にする金銭目的のプロの誘拐集団だった事が判明したが、どういう経緯で依頼されたのか、本当の犯人の目的は何だったのかは明らかにされなかった。カプセルに関する情報は、一部の者の頭の中を除いて消去されたかのように、報告も記録もされず、闇に葬られた。

 杏崎茜属する一味の行方は不明で、とうに日本を出ているのではないかと推測されている。

「してみると、誘拐事件の方は陽動作戦だった可能性もあるな」

 あちこちからの情報を聞き集めて推理する矢城。

 本命はパソコンの中のデータの方だったのかもしれない。下部組織に誘拐人質事件を計画させておいて、その隙に別の集団がデータを取り戻す作戦で、二股掛けたのだろう。誘拐人質事件のほうは同時に、情報を隠し持っているかもしれないハンサムの抹殺も目的だったようだ。

 結局、データはどこかの危険な組織の手に渡ったのだろうか。CIAはデータに関する情報を一切公表しなかった。もし、渡ってしまっているとすると、いつ何時、あのデータにあったものが現実になるかもしれないのだ。防御出来ていたとすれば、その心配はなくなる。が、代わりに、データの片割れを巡って、引き続き水面下の争奪戦が続くのだろう。月影の命もまだ狙われる可能性がある。寒々とした状況の中、例の救世主のディスクのかすかな希望が矢城に去来した。

 あれからハンサムは呼び出されて、またもやCIAの尋問を受けた。しかし、幸坂江莉果婦人が身元引受人の立場で、人権団体まで引っ張り出しそうな勢いで抗議したため、再び拘束される事は免れた。逃亡の恐れはないという事で警察共々了承したのだ。

 ニセハンサムの行方は捜索されたが徒労に終わった。結果的に人質救出に貢献したのだから、深く追求する必要はないのではないかと考える向きがあった事もある。ニセハンサムが持っていた布袋に入っていたのはただの小石で、誘拐やデータに関する情報がどこから漏れたかは特定できずにいる。

 矢城は森岡聡史から尾之多博行の言葉を聞きだすと、誰にも報告せず、自分一人で博行を訪ねた。そこで、博行が入院している事を知った。

「君が尾之多博行君だね?」

「あなたは?」

 矢城が病室を出ると訪れると、ベッドの上に半身起こして座り、左腕を吊って、右手に世界史の本を持っている博行がいた。

「俺の顔を覚えていないのかい?」

「失礼な人だな。僕はあなたと初対面ですよ。名前くらい名乗ったらどうですか?」

「ふ~ん。君と同じ日に左腕を撃たれた奴を知っているんだが、まぁいい。矢城健二、緑御蔭署の刑事だ」

 一応、警察手帳を見せて言う。

「父の別荘で、猟銃が暴発したんですよ。事情聴取ならもう済んだ筈ですが。ほかに何か?」

「ほう、暴発か。それはさておき、森岡聡史を知っているな?」

「ええ、同級生です。彼がどうかしましたか?」

「幸坂麻也の誘拐事件のとき、彼は君から、CIAがRホテルに月影ハンサムを確保している事を聞いたと言っているが、どうやってその事を知ったのかね?」

「Rホテル? さあ、それは知りません。森岡が麻也を助けに行きたいと言ったので、危ないから脅すつもりで、適当になんとかを引き合いに出したのは覚えていますけどね。あ、そうか、あるホテルと言ったのを聞き間違えたのかな。えっ? それじゃCIAが確保していたんですか?」

 驚いた顔つきの博行に、食えん奴だな、と矢城は思いながら、

「さぁな。では、幸坂家で、警察の本庁に月影の居場所を知っている人間がいる、と言ったらしいが、それはどうかな?」

「それは理論的推理のなせる可能性の問題ですよ。誰かを誘拐してまで交換したい人物とはどういうものなのか。普通の人間ならその人間を誘拐すれば済む事でしょ? 警察や公安にも分らないようなら誰に分るんですか? あの、のほほんに怨恨があるとは到底思えませんしね」

「まぁ、そうだな。ところで、君はフランソワを知っているかい?」

「もしかして、あの小憎らしいシャム猫の事かな? どっかに行ってしまったと聞きましたが」

「やっぱり知っておったか。では、ディスクの事はどうかな?」

「シャム猫とディスクとどういう関係があるんですか?」

 矢城は例のメッセージを書き留めたメモを博行の手元に置いた。

「へぇ、救世主ですか。ゲームみたいですね」

「AとBの二枚のディスクを俺にくれた奴がいてな。そのAに入っていたメッセージだ。で、Bのディスクをコンピューターに入れるとな、どっかのコンピューターにウィルスでも送っていたようなんだが、とんと見当がつかんのでな。心当たりでもあるかい?」

「さぁ、僕にはとんと心当たりがありませんね」

 全く知らない様子のすまし顔の博行を見ながら、こいつはなかなか曲者だぞと考える矢城。

「そうかい? そのパスワードが月影ハンサムとフランソワだったんだがね」

「それは面白い。そのディスクを作った人物は月影とフランソワを知っていたと言うんですね?」

「そうだ。そして、月影とフランソワの事を知っている奴というのは限られると思わんか?」

「いや、必ずしもそうとは限りませんよ。そいつの恋人の名前がフランソワだったりして。あれっ? 刑事さん、もしかして、僕をその人物とでも思っているんですか?」

「違うのかね?」

「あっはははは。僕はただの受験生。救世主とかから程遠い存在ですよ。そんな事はありえません。随分買い被ってくれましたね」

「そうか、買い被りだったか。君か、もしくは君の関わる何者かがやったのじゃないかと考えたんだが、違うのなら仕方がないな。結局、Bのディスクが何をどうやったのか知りたかっただけなんだが。じゃあ、邪魔したな」

 矢城は残念そうにメモを引き取ると、病室を後にしようとした。が、かのコロンボのように、出口の所で立ち止まると、振り返って言った。

「君、麻也ちゃんの事が好きだろう?」

「えっ? それが何か?」

 ちょっと意外な質問に戸惑う博行。

「俺だったら好きな女の名前をそんな危険な物のパスワードに使ったりしないからな」

  ニヤッと笑って見せる矢城。

「あっははははは。僕は彼女にふられました。僕は彼女に嫌われているんですよ」

「そりゃあ、関係ないさ。君の方がどんな風にどのくらい好きかによるんじゃないかな?」

「刑事さん、ウィルスがどう働いたのか知りたいようでしたね?」

「ああ」

「もし僕だったら、ウィルスがすぐに働くようにはセットしませんね。だって、アクセスすると同時にウィルスが発動したら、もしかしたら、出所が特定されて面倒じゃないですか」

「時限爆弾か!」

 うなずく博行を見て、矢城の肩から重荷が一つ下りたような気がした。

「では、そいつを作った奴が本当の救世主ってやつだな」

「いいえ、僕はそう思いません。だって、そいつは自分で使う勇気がなかったから刑事さんにさせたんでしょ? 実際の救世主はやはり刑事さんだと思いますよ」

 矢城は博行の病室から出て、病院の外の喫煙コーナーに行くと、先程のメモを燃やした。結局、なんのしっぽもつかませなかったな、あいつ。邦帯のほうがよっぽど可愛げがあるぞ。

「矢城刑事さん」

 呼ばれて振り返ると、幸坂麻也が白い薔薇の花束を持って立っていた。

「この間は本当にいろいろと有難うございました」 と、深々と頭を下げる。

「いや、いや。猫の兄ちゃ・・いや、月影は元気かい?」

「はい。あのぅ、ニセハンサムの件はどうなっているんでしょうか?」

「そういやぁ、そんな奴がいたな。警察は捜索を諦めたようだ。俺ももう顔を忘れちまったしな」

「ありがとうございます」

「礼を言われるような事じゃないが」

「あの、これ、気持ちだけですけど」

 麻也は花束から白い薔薇の花を一本取り出すと、茎を小さく折って、矢城の胸のポケットに差し込んだ。

「ありがとうよ。似合うかな?」

 麻也はうなずくとにっこり微笑んだ。

 麻也と別れて署に帰る矢城の目の奥に、麻也の微笑が残って、矢城の口元をほころばせていた。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈42.三人目のハンサム〉

 ハンサムに扮した警官が指定された場所に立っていると、午後8時、近くの誰も使っていない倉庫の扉が開き始めた。周りにスタンバイしている狙撃班が銃を構える。しかし、誰も出てくる気配が無い。警官は隠しマイクで指示を仰ぎ、辺りを見回して静かに扉の中に入る。警官が入ると、扉は閉じてしまった。

 警官は暗い倉庫の中に閉じ込められると、懐から銃を取り出し、用心しながら、ゆっくりと進み、呼んでみた。

「誰かそこにいるのか?」

 返事は無く、残された荷物の残骸の間を鼠が走っていた。

 その倉庫の外では、警官軍が突入に備えて距離を縮めていた。車の中で待機している本部長以下が、ニセハンサムに取り付けられている隠しマイクの音を聞き逃すまいと聞き耳を立てていた。 

 その頃、遠巻きに待機していた警察の車の列の後方に、一台の自動車が静かに到着した。中から髪の長い、ハンサムと同じような格好をした若者が降り立つと、自動車の屋根の上に飛び乗り、小さな布袋を片手で高く持ち上げて、大きな声で叫んだ。

「データはここだ!」

 すると、やや遠く、後方に位置する警察のバンと思われる車から、バラバラと数人の警官の格好をした男達が飛び出してきた。

 二人目のニセハンサムは辺りを見回して、こちらに走ってくる警官達を認めると、自動車から飛び降りて、体を屈め、発砲からの防御の姿勢をとりながら、バンの方に走っていった。腰には脇差のような物が二、三本。あれよあれよと見ている警官の間をぬって、バンから走ってくる警官達の方へ近づく。

 警官達と出会うのかと思いきや、途中から横様にパトカーの上に飛び乗り、車の上を走り飛び、車の間をぬいながら、ぐるっと回り込んでバンの後ろにたどり着いた。走ってきた者達も後を追う。

 バンの後ろにたどり着くと、銃を構えて残っていた見張りの者の肩に、背後から、居合い抜きのごとく太刀らしき物を振り下ろす。バキッと骨の折れるような音がして、見張りの者はうずくまり、気を失った。

 見張りが落とした銃を遠くに蹴飛ばすと、バンの中を覗き込み、中に居る幸坂麻也を引っ張り出す。小太刀を抜くと、縛っていた縄を切り、口を封じていたガムテープを剥がす。それからもう一本の刀らしき物を麻也に渡す。

「これは・・?」

「切れないが、打撃はいける。奴らは警察じゃない。遠慮せずにやれ」

 その時、銃撃の音がして弾がバンの扉に当たった。さっと身を屈めるふたり。先程の警官の格好をしている者達が、ふたりを狙って発砲しながら近づいて来る。

「返すぞっ!」

 声を上げてニセハンサムが布袋を遠くに投げる。追いかけていた中の二人が拾おうとする。三人は銃でふたりを狙う。

 麻也とニセハンサムはバンの後ろに回って弾を避ける。小太刀をバンのタイヤに差し込むと、追いついた一人が銃を構えて車の横に回りこんできた。すかさずニセハンサムが喉元に突きを加える。反対側からやって来た者は、麻也が振り下ろした太刀の下に倒れこんだ。

 パトカーの上を走るニセハンサムに気づいた矢城は、ハンサムと一緒にその方向に向かっていた。

 銃声を聞くと、ハンサムはいきなり猛スピードで走り出し、矢城刑事を残して、車の屋根の上から建物の上に飛び移っていった。

 その頃になってやっと異変の報告を受けた本部長は、二人目のニセハンサムの正体を問い合わせたり、どこの部署が発砲しているのか報告するよう指示したが、正確な情報は得られず、訳の分らない状態のまま、取り敢えず、発砲をしている警官達とニセハンサムを取り押さえるよう指示を出した。

 布袋を拾った二人組みがバンに乗り込み、エンジンをかけると、麻也とニセハンサムはバンの陰から飛び出して、近くのパトカーの陰に移ろうとした。

 狙撃担当の残った一人が二人を狙って撃とうとした時、いきなり空から降って湧いた本物ハンサムに蹴倒された。

 倒れた者は態勢を立て直しながら銃をハンサムに向けようとする。と、ハンサムの猫パンチ攻撃にあい、さらに銃を持った腕に咬みつかれてしまった。

 車に乗った助手席に居る者がハンサムに銃を向けると、ニセハンサムの振り下ろした太刀がその腕を折った。それからニセハンサムはハンサムに咬みつかれている者に近づき、当て身をくらわせて気を失わせた。

 車は仲間を見捨てて発車し、去って行く。

「ハンサム!」

「麻也!」

 ふたりが駆け寄ろうとする。その時だった。ニセハンサムはハンサムの背中に赤いレーザー照準の光点が当たっているのに気がついた。二人を押し倒すニセハンサム。音も無く空気を震わせて弾が通りすぎ、アスファルトの地面に当たって跳ね返った。

「車の陰に隠れろっ!」

 二人を庇って押し込むように近くの車の陰に連れて行く。何発かの音の無い銃撃が側を通り抜けた。パトカーに弾の当たる音が響く。

 三人の方に近づこうとした警官の一人が流れ弾に当たって負傷したようだ。遠巻きに銃撃から身を避けている警官の一人が狙撃者の位置を報告している。

 逃げようとしていた車は、タイヤがパンクさせられていたので思うように進まず、本物のパトカーと警官達が彼等を取り押さえようとして、カーチェイスが始まったようだ。

 ニセハンサムは、狙撃が一段落したのを見越して、警官達が、逃げようとする車と狙撃者の方へ気を取られている隙に、二人を先導して、自分が乗ってきた車の方に連れて行き、乗り込ませた。

 その時、矢城が現れた。矢城はニセハンサムの後ろからむりやり車の中に乗り込んできた。

 四人が後部座席に乗り込むと、車は発車して、人知れず急速に現場を離れる。

「ったく、信じられんよ。兄ちゃんだけじゃなく、お前さんもムチャをやりおって。それは何なんだ。金属バットもどきの刀か。お前さんは一体何者なんだ?」

「そう言うおっさんは何者なんだ?」

「矢城刑事さんだよ」 と、一番奥に座っているハンサムが答える。

「おい、車を止めてくれ。おっさんはここで降りろ」 と、ニセハンサム。

「なんだぁ? 刑事と聞いてビビッたのかい? おいっ、お前さん、撃たれているじゃないか! 血が出とるぞ。おい、運転手! 病院に急行だ」

「余計なお世話だ。早く降りてくれ。窮屈だ」

「大変! 本当だわ、左腕から血が!」 と、麻也。

「運転手! 早く病院へ行け。腕を撃たれている」 と、せかす矢城。

「こんなのどうって事ないさ。それより早く降りろ! 窮屈だと言ってるだろうが!」

「刑事さんはいい人だよ。僕を助けてくれたんだよ」 と、ハンサム。

「そんな事は関係ないっ! 窮屈で撃たれた腕が痛いんだよっ!」

 ニセハンサムは右手でドアを開けると、足を使ってむりやりに矢城刑事を外に押し出した。降ろすと同時に車は発車し、矢城は取り残されて、車の後を見送った。

「本当に病院に行った方がいいわ」

 そう言いながら麻矢は、セーラー服のマフラーを外して、ニセハンサムの左腕にきつく巻いた。

「大丈夫だ、気にするな。かすり傷さ。これは返してもらう」

 と、言って、金属製の刀もどきを取り返すと、

「そこの角で止めてくれ。二人ともここで降りてもらう」

「後で必ず病院に行ってね」

「気にするなと言ったろ。こっちで勝手に処理する。じゃあな」

 駅の近くの曲がり角で二人を降ろすと、車は夜の闇の中、ニセハンサムを何処かへ連れ去った。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈41.人質交換〉

  ディスクとパソコンを処分した矢城刑事は、つかの間の休息の後、いつものようにRホテルに監禁されているハンサムに会いに行った。

「どうだ、眠れているかい?」

「うん。僕、アメリカっていう所に連れて行かれるの?」

「奴さん達、本気で兄ちゃんの事をどっかのスパイみたいに思っているようだったからな」

「アメリカって遠いの? 僕、アメリカなんかに行きたくない。麻也の所に帰りたい。麻也に会いたいよ」

「分っているよ。今、蹴飛ばす馬を探している最中だ」

「蹴飛ばす馬?」

「昔から、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴飛ばされるのが相場さ」

「??」

「ま、もうちょっと待っていなさい。あいつらにも君が無関係だという事が分ってくるかも知れんからな」

 おそらく、例のカプセルの件が一段落するまでここに監禁されているのだろうが、その後どうなるか、確信はない。アメリカに連れられていけば、非情な運命が待っているやもしれん。なんとかハンサムを助けてやりたいと思っている矢城だった。後は、あのディスクの影響がどういう形で現れるのかを待つしかない。

 矢城はいったん署の方に帰った。それからCIAの協力要員が仮の事務所代わりにしている連絡場所に出向いた。そこで事件に関する情報を聞きこんだ。   

 が、結局、何も得る事が出来ず、同日夕刻、再びハンサムに差し入れに行こうとRホテルに向かい、Rホテルの35階で、麻也のためにハンサムに会いに来た森岡聡史に出会い、誘拐事件の事を知ったのだった。

 ハンサムを救出して神楽坂穣の所に預けると、なにくわぬ顔で再びCIAの仮事務所に向かった。そこで、矢城刑事は、ハンサムの逃亡事件と誘拐事件を知っている事から、マイクロカプセルの話に入り込んで、協力者として情報を得る事に成功した。

 例のマイクロカプセルのデータは既にPCに入っており、マイクロカプセルの方は処分されている事も確認した。カプセルのデータに関しては何の問題も発生していない様子で、これにはちょっとがっかりした。あれはただの手の込んだ悪戯だったのだろうか。

 CIA側は残りのデータを手に入れるための手段として事件を利用するつもりらしく、人質交換を警察に任せておいて、向こう側とハンサムの出方を見るようだ。

 誘拐は、行方不明という事になっているハンサムをあぶりだすためかもしれない、と、矢城は考えた。幸坂麻也が選ばれたのはハンサムとの関係を知っているからで、警察を介してでもハンサムにカプセルを持って出てくるように仕向けたかったのではないか。

 矢城が入手した情報では、犯人側の目的が、カプセルのみなのか、ハンサムの身柄まで必要としているのかは判断できなかった。

 問題は、誘拐対策本部の警官達がカプセルの存在を知らない事、そして茜がハンサムを知っている事かもしれない。カプセルが無いと分った時、あるいはハンサムが偽者とバレた時、麻也ちゃんがあぶない。

 万が一に備えて、ハンサムを待機させておいた方が良いかもしれない。そう判断した矢城は神楽坂穣の所に戻り、ハンサムを連れて、警察やCIAには秘密裏に近くで待機する事にした。

 港の周辺には警察の総力によって、知る人ぞ知る包囲網が布陣されていた。一人で来させるようにという犯人の要求にもかかわらず、これだけの警備がされている事に矢城は不安を感じた。もちろん犯人側にも予測出来ている事だろうが。

 これでは怪しまれずに港の倉庫に近づくのはかなり難しい。どころか、港から逃走するのも至難の技ではないか。交換の時間が近づいていた。

 車で近寄るのは簡単ではなさそうだ。かと言って、港湾警察まで駆り出されている様子で、ボートで近づくのも難しそうだ。と、矢城が思案に暮れていると、ハンサムが聞いた。

「刑事さん、もしかして麻也がこの先にいるの?」

「む・・・、」

「麻也の家はこっちの方じゃないよ。どこにいるの? 僕みたいに誰かに捕まっているの?」

「兄ちゃんにはかなわねえな」

「どこに、どこにいるの?」

「今、そこへ行く道を探している所だ。警察が張り込んでいるから、見つからんように行かんとな」

「警察は味方じゃないの? 刑事さんも警察でしょ?」

「そうなんだが、」

「場所を教えて! 僕なら屋根の上から行ける」

「バカいうんじゃない。危険な相手なんだ。銃を持っていて、撃つのをためらうような奴らじゃない。俺が一緒に行って護衛してやるからちょっと待つんだ」

「銃! 麻也は、麻也は大丈夫なの? 麻也が撃たれたりしない?」

「だから、ちょっと待てと言ってとるだろうが」

 結局、車を降りて、警察の包囲網を遠目で見ながら、近づく事にした。その前に、矢城は車のトランクから防弾チョッキを二着取り出し、ハンサムにも着せた。

 ハンサムに扮した警官が、人質交換の為、港の倉庫に降り立ったのは、午後8時5分前だった。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈40.救世主に乾杯!〉

 Bのディスクを持った矢城刑事は、とあるマンションの一室を訪ねた。

「夜遅くにすまんな。それにしても豪勢なとこだね。羽振りがいいじゃないか」

「僕はあれからは何もやってませんよ。正規の株の売買で儲けているだけです。犯罪には一切関わっていません」

「ふ~ん。それならいいが」

矢城は前に、コンピューター犯罪に手を染めようとしていた邦帯裄忠を止めて、助けた事があったのだ。

「それより、頼みたい事って何ですか?」

「出来るだけ最新のコンピューターで、お釈迦になっても構わん奴をひとつ借りたいんだが」

「なんだ、そんな事ですか。どうぞこちらへ」

 邦帯裄忠は矢城をコンピューターだらけの部屋に通した。それぞれが世界中の株の動きや様々な情報を表示させるようになっていたが、今は適当な映像が映っていた。

「これがお前さんの金蔓か」

「適当に稼がせてもらってます」

「そりゃあ豪気だね」

 裄忠はその部屋にあった梱包してある包みを解いて、パソコンを引っ張り出した。

「今日買って来たばかりの最新モデルですよ」

「って、新品なのにいいのかい?」

お安いもんですよ。お役に立てれば。僕はまたすぐに買うから構いません」

「じゃ、遠慮なく借りておくよ。ついでに、インターネットの使えるホテルとかカフェを教えてもらいたいんだが。出来ればここからちょっと離れた場所の方がいい」

「どうしてですか? ここで使ってもらっていいですよ」

「いや、ちょっと訳ありで、あとあと面倒な事になると困るんでな」

「えっ? 刑事さんがですか? 何をするんですか?」

「ん~。そうだな、君の知識を借りた方がいいかもしれんな。悪いが一緒に来てくれるか?」

「いいですよ」

 二人はマンションを後にして、とある深夜営業のカフェに入った。窓際に座ると、裄忠が持ってきたパソコンを取り出した。

「ここだと、無線LANが使えるんですよ」 

 と、電源を入れる。矢城刑事がディスクBを取り出して挿入した。

「パスワードが必要なようですよ」

「うむ。月影ハンサムと入れてみてくれ」

「だめですね」

「う~む。では、幸坂麻也でどうだ?」

「やっぱり開きません」

「む~む。そうか、困ったな。矢城健二か、杏崎茜、CIAではどうかな?」

「どれも開きません」

「ん~む。弱ったな。他には・・・。まさかとは思うが、フランソワではどうだ?」

「あっ、開きました」

「なにっ?」

「これは!」

「どうした?」

「この中に入っているファイルそのものがウィルスのような性質を持っているようです。開けた途端、勝手に動き出して何かをやっているようです」

 ディスプレイには通常のパソコンの表示ではなく、一見意味をなさない様に見える文字列がすごいスピードでくるくると動いていた。

「何をやっているか分るか?」

「あちこちにアクセスして、世界中を飛んでいるみたいです。何かを探しているのかな。あっ、パスワードの解析もやっているみたいです。刑事さん、これ、かなりヤバイですよ。下手すると国際犯罪になってしまうかも」

「止められるか?」

「う~ん。これはムリくさいな。全然応答がない。PC自体が乗っ取られているみたいです。電源を切ってしまえば何とかなるかもしれませんが、どうしますか?」

「むう。仕方がない。そのままにしておいてくれ」

「えっ? 大丈夫なんですか?」

「世界を救うためだ。やむをえん」

「これで世界が救われるんですか?」

「そういう情報なんだ。信じるしかない」

「刑事さんの勘ってやつを信じるという事ですね」

 数時間の後、猛スピードで動いていたPCはピタリと止まって暗転した。

「おい、画面が消えちまったが、終わったのか?」

「そのようですね。ん?」

 見ると、画面に文字が浮かび上がってきた。

『救世主に乾杯!』

「本当に世界を救ったんですか?」

「うむむ。おい、また消えたぞ」

「あれれ、本当にお釈迦になってしまいました」

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈39.救世主に奉げるメッセージ〉

 矢城刑事がハンサムと車に乗り込む24時間前。

 矢城刑事はいつものようにRホテルにハンサムに差し入れをした後、ホテルを出て駅へと向かっていた。

 駅前の雑踏の中、すれ違いざま肩をぶつけられて、立ち止まる。その感覚に覚えのある矢城は、スリか、と、ポケットを確認して、逆に見覚えのないコインロッカーの鍵らしき物を見つけた。

 振り返って、先程ぶつかってきた人物を探す。夕刻の雑踏の中にその人物は紛れ込んでしまい、見つける事は出来なかった。

 駅のコインロッカーで鍵の合うロッカーを見つけた矢城刑事は、用心しながら鍵を開けた。爆発物はなく、すんなりと扉が開く。四角い茶色の封筒が入っていた。

 署に持って帰って、鑑識に持ち込む。どうやら危険性はなさそうだと分った時点で封筒を開けると、中から一枚の紙切れと二枚のディスクが出て来た。

 紙切れには「A>B」 とだけ書いてあった。ディスクにもそれぞれAとBしか書いてない。

「どう思うね?」 と、矢城。

「Aの方がBより大きい。Bが、もしくはBについてAを述べる。又は、Aの方が優先される。PC的にはBが先のように思いますが、一般的に考えると、Aの方が先って事でしょうかね」

「ふん。同じ考えだ。では、Aの方を先に入れてみてくれ」

 鑑識の者がコンピューターにディスクを入れる。

「パスワードがかかってます。どうしますか?」

「うむ、そうだな。月影ハンサムと入れてみてくれ」

「あっ、一発で開きましたよ。すごいですね。一体なんですか、これは?」

 鑑識の者が文を読み上げる。

《 『救世主に奉げるメッセージ

  この世界の未来は救世主の手に委ねられた。

  Bは世界を救う救世主の剣。

  C静かに誰にも気づかれず、I愛を持って、A英断せよ。

  Mを封印し世界に平穏がもたらされる時、BがCの中に入る時。』

  なお、このメッセージのファイルは一度閉じると消去されるようにプログラムされている。また、このディスクにはウィルスが入っている。このファイルを開いて、きっかり5分後に動き始める。》

「ど、どうします?」

「ちょっと待て、今、書き留めているところだ」

 書き留めた後にディスクを取り出すと、

「どうせ指紋は出んだろう。これは破棄しておくぞ」

 と、鑑識に有無を言わせず、Aのディスクを自分のポケットに入れた。

「どういう意味なんでしょう? 何かのゲームの言葉みたいですね」

「うむ。わたしも侮られたもんだな。こんな判じ物にもならんメッセージを送りやがって。どこのどいつだか知らんが」

「えっ? 意味が分っているんですか?」

「ああ、例のカプセルの件と関係があるんだろう」

「あっ、では、Mはマイクロカプセルの事ですね。Cはコンピューターですか? あのデータは消去させられました。Mの入っているCにBを入れろって事ですかね?」

「この件は誰にも言わずに口を拭っておいた方が賢いと思うぞ」

「は、はい。でも、これって、かなりアブナイ事言ってませんか?」

「うむ。俺はお前に何も頼んでいない。何もしてもらわなかった。従ってお前は何も知らない。何も見ていない。いいな?」

「はい」

 ゴクッと喉を鳴らして返事をする鑑識係。

 署を出ると、寒風の中、遠く夜空に星が瞬いているのが見えた。矢城刑事は家に帰らず、ひとり思案しながら車に乗り込んだ。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈38.穣さん〉

「穣さん、いるかい?」

 矢城刑事はハンサムを連れて、下町の古ぼけた家を訪ねた。

「ああ、いるよ。元気そうだね、やっさん」

「お蔭さんでな。電話しといた若い奴を連れてきたんだ。名前は月影ハンサム。しばらく預かってもらえそうかね?」

「構わねぇよ。今、手が空いているとこだ。やっさんもちょっと上がっていけよ」

「いや、俺はちょっと野暮用が多くてな。また今度ゆっくり」

「そうかい? 残念だな」

「じゃ、頼んだよ」

「待って、刑事さん!」

 ハンサムを置いて去っていこうとする矢城刑事をハンサムが呼び止めた。

「一体どうなっているの? 僕、どうして麻也の家に帰れないの? 麻也に何かあったの?」

 澄んだ瞳に不安を一杯あふれさせながら、真っ直ぐに矢城の目を見る。ついと目を逸らしてしまう矢城。なにも訳分らずと思っていたが、こりゃあ思い人の勘ってやつかな。さて、どうしたもんやら。

「ま、その事は後で話すから。しばらくここにいてくれないか? 今は大事な用事があるんでな。大丈夫、すぐに戻ってくるから。いいか? 外へは絶対に出るんじゃないぞ。でないと、麻也ちゃんが危なくなるかもしれんからな。分ったな?」

「うん、わかった」

 ハンサムは不安な気持ちのまま、夕闇の濃くなる街に消える矢城の後姿を見送った。

「月影君とかいったな。そんな所に立っていないで家の中に入りな」

 ギシギシと音を立てる畳の部屋に入ると、部屋の天井から裸電球がもの侘しい光を投げかけていた。部屋の壁の隅の方に鼠の通り道らしい穴まで開いている。

 神楽坂穣は折りたたみになっている古い卓袱台を広げて置くと、コンビニの袋から缶ビールとつまみとパンを取り出した。

「ここには誰も来ないから安心していいよ。取り壊しが延びている家でね、危ないからってんで、誰も近寄らねぇ。ま、これでも食べてゆっくりしろや」

 そう言ってパンをハンサムの方に置くと、自分は缶ビールを開けて一口飲み、プハーッと息を吐いた。ハンサムは差し出されたクリームパンを食べると、

「あなたはここに住んでいるの?」

「あっはっはっ。違うよ。俺は神楽坂穣ってんだ。これでも腕利きの大工なんだぜ。ここが取り壊されたらここに家を建てるように頼まれてんだがな、資金繰りがなんとやらで、こっちまで干上がっているとこさ」

「かぐ・・・じょうさん。刑事さんと知り合いなの?」

「かぐらざかじょう、穣でいいよ。やっさんとは中学の時からの友達だ」

「刑事さん、とってもいい人だね」

「ああ、とってもいい奴だ。情は深いし、頭はいいし、腕利きだよ。兄ちゃん良かったな、やっさんに出会って」

「うん」

 と、その時、ハンサムの側をちょろちょろっと鼠が走ってきた。反射的にハンサムは鼠のしっぽを捕まえてぶら下げた。

「ひょうっ! すごいね兄ちゃん。素手で鼠取りかい」

「これ、欲しい? 欲しかったらあげるよ」

「いや、いらねぇや。どの道だ、放してやんな」

 ハンサムが放すと、鼠はあわてて巣穴のほうへ逃げ込んでいった。

「刑事さん、まだかなぁ。麻也に会いたい。ず~っと会ってないんだ。なんだかとても寂しい」

「そりゃ、恋の始まりってやつだよ。あい~たい~きもぉ~ちが、まま~ぁなぁ~らぁぬ、と、きたもんだ」

「恋の始まり? だって、麻也は、僕とは違う。人間だよ」

「そんなもん、かんけーねぇよ。恋に人種も身分もへったくれもないさ。ひぃ~とめ見ぃたとき~ぃ、ビビビとくればぁ、そお~れぇ~が、こぉ~いの、はじまりぃ~、なんてね」

「へったくれ? ビビビ? どっちも分らないけど、そういえば刑事さんもそんなような事を言ってた気がする」

「んじゃ、例えばだ。海にボートが浮かんでいるとするな。ボートには君の他にもう一人しか乗れないんだ。君の母ちゃんと麻也ちゃんが海の中にいて、二人が同時に助けてっと叫んだら、どっちを助けたいかね?」

「ふたりとも助けたい」

「ボートにはあと一人しか乗れないんだ。どっちを先に助ける?」

「そのボートって、ふたりと猫一匹なら乗れる?」

「まあな、猫一匹くらいなら増えたっていいが、」

「じゃあ、みんな助かる。良かった」

「?? どういう意味かね?」

「僕の母さん猫だもの」

「ひゃあっはっはっはっ。君の母ちゃん、猫なのか?」

「うん」

「そりゃあ、いつからそうなったんだい?」

「分からないけど、僕の目が見えるようになった時はもう猫だったよ」

「へぇ! そうなのかい。う~ん。じゃあさ、麻也ちゃんが別の男を好きだって言ったら、どう思う?」

「麻也が、誰か人間を好きになるって事?」

「そう。兄ちゃんどうするね?」

「分らない。そんな事考えた事もなかった。でも、もしそうなったら、僕は、僕は・・・」

 ハンサムは学校の裏山の出来事を思い出した。もし、麻也が、と考えて、胸のどこかが熱くなってくるような感覚を覚え、軽いめまいがした。

「分らない。どうしたらいいのか分らないよ」

 知らず知らずのうちにハンサムの目が潤んできた。

「お、おい。に、兄ちゃん。例えばだよ、例えば。本当の事じゃないって」

 あわててなだめる穣。

「大丈夫だって。きっと麻也ちゃんも兄ちゃんを待ってくれているよ。安心しな」

 手の甲で涙を拭きながら、胸の中にわいてくる不思議な気持ちをもてあますハンサム。麻也は飼い主なのに、僕は人間の格好をしてても猫のはずなのに。どうしてこんな気持ちになるんだろう。

 その時、ガタピシと音を立てて玄関の戸が開かれ、矢城刑事が入ってきた。

「月影、ちょっと一緒に来てくれ」

「よう、やっさん。もういいのかい?」

「すまなかったな、穣。この借りはまた今度な。今は急ぐんだ」

「いいって事よ」

 ハンサムは矢城刑事に連れられて車に乗った。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈37.Rホテル〉

「ほぅ! するとなにかね、フランソワちゃんは猫なのかね?!

「そうだよ」

 驚く矢城刑事に、あっさりとうなずくハンサム。

 矢城刑事は、ホテルに監禁されているハンサムに差し入れに行っては、慰みに話しをしたりしていた。

「しかし、君は、酔っ払っている時に、フランソワちゃんと結婚するつもりだったと言っとったぞ」

「それは本当だよ。フランソワに出会って、お互いに運命の猫だと思ったんだ」

 矢城刑事はまじまじとハンサムの目を見つめた。狂っているようには見えないし、変質者の目でもないように見える。猫というのは言葉の綾だと思っていたが、パラノイアなのだろうか?

「そう言えば君は、猫だった、と言っていたな。それは、つまり、君が人間に生まれ変わる前に、猫だった時、フランソワちゃんに出会ったというような意味かな?」

「うん、そう。あ、でも、刑事さん。僕が人間になる前は猫だった事、他の人には秘密にしておいてもらえないかな? 秘密にすると麻也と約束してあるんだ」

「ああ、そりゃあ秘密にしとくよ」

 ちょっとホッとする矢城。おおかた、インチキ占い師に前世は猫だったとでも言われたのを信じているんだろう。しかし、それにしては猫のフランソワの年齢が合わんが、それも前世のしがらみか?

「秘密にしとくが、生まれ変わりの事についてもう少し聞いてもいいかな?」

「う~ん。でも、それを話すと、また約束破る事になっちゃうから」

「そうか。それならもう聞かんよ」

「麻也、怒るかな。酔っぱらって刑事さんに言っちゃった事」

「大丈夫だと思うよ。とっても優しい娘なんだろ?」

「そうだよ。僕、麻也の事、大好きなんだ。優しいし、あったかいし」

 嬉しそうに話すハンサムを見ながら矢城が聞く。

「ほぅ。で、今はフランソワちゃんと結婚したいとは考えていないんだね?」

「うん。今はもう考えていないよ。僕は人間だから、人間として生きていくべきだって、フランソワも言ってたし」

「フランソワちゃんがそう言ったのか。じゃあ、それでいいんじゃないかな」

 猫と話す人間もいるらしいが、ま、感性の問題かもしれん。

「麻也ちゃんもきっと喜ぶんじゃないかな」

「本当? 刑事さん、そう思う?」

 素直に喜んで顔を輝かせながら矢城を見るハンサムの瞳は、曇りのない澄み切った瞳だった。

「ああ、そう思うよ。麻也ちゃん、どうやら学校休んで君を探しとったらしい。ほんに、恋に資格も世間体も必要ないもんだな。要るのは会いたい心一つか。こんな事件に巻き込まれさえしなければ・・・」

 矢城はため息をついた。出来るだけの努力はしたが、ハンサムがこういう目に遭ってしまっている事に、責任の一端を感じていた。

 そうして、ハンサムが監禁され始めてから6日目の夕刻、矢城刑事がハンサムに差し入れをしにRホテルに行った時の事だ。

 監視役らしい男のいるロビーをちらと横目で見ながら、35階に監禁されているハンサムに会うため、ホテルのエレベーターに乗った。エレベーターを降りて、通路をぐるっと回り、ホテルの中央に位置する、窓のない部屋へと向かう。普段は物置になっている部屋だ。警備役の男がドアの前に二人立っている。

 と、非常階段に繋がる通路の方に人影が見えた。歩を止めて、胸の内に装着している銃を確認し、壁に沿って姿を隠しながら、そろっと近づく矢城刑事。

 壁の端から目だけを覗かせると、高校生くらいの少年が、警備役の男が立っている部屋の方を窺っていた。

 少年は迷っている風だったが、決意したと見え、通路を真っ直ぐに部屋の前へと歩いて行った。

「あ、あの、すみません。この部屋に月影という人がいませんか?」

「君は何者だね?」

「僕は幸坂麻也さんの同級生です。月影さんはいるんですか?」

「知らんな」

「月影さんは幸坂さんの身代わりに行くんですか?」

「知らんと言っているだろう。邪魔だ。あっちへ行け」

「月影さんが行かなかったら幸坂さんはどうなるんですか?」

「しつこい奴だな。二度とここへ顔を出すな」

 少年はでかい方の男に首根っこをつかまれて、力ずくで部屋の前からエレベーターの前まで連れて行かれて、排除された。

 ガクガクしながら座り込んでいる少年の肩を矢城刑事がつかんだ。ビクッと振り返ると、

「ちょっと、話を聞かせてくれるかな?」

 腕を引っ張られて、引きずられるように非常階段の少し手前の所に連れてこられた。そこはホテルの監視カメラから死角になっている場所だ。

「あ、あなたもC I Aの人なんですか? だったら教えて下さい。幸坂さんは一体どうなるんですか?」

「幸坂、麻也ちゃんの事だな。君の名前は?」

「ぼ、僕は森岡聡史、幸坂麻也さんの同級生です。月影さんが行かないと幸坂さんは殺されてしまうんじゃないんですか? 見殺しにするんですか?」

「見殺しとは穏やかじゃないね。何があったんだね? 話してくれないか? わたしはC I Aじゃないよ」

 と言って、警察手帳を見せた。

「それ、本物ですか? 警察の人なのに知らないなんて変じゃないですか」

「警察といっても管轄が違うと赤の他人も同然の事があるんだよ。麻也ちゃんはこの近くの人じゃないだろ」

「え? それじゃ誘拐の事は知らないんですか?」

「麻也ちゃんが誘拐されたのか? それは何時の事だ?」

「今日の昼頃、学校の中で誘拐されたんです。麻也さんの家に犯人から電話がかかってきたのが午後3時頃で、麻也さんは月影さんと交換するための人質だって聞きました」

「そうか、そりゃあ大変だ。しかし、君はどうやってここに猫の兄ちゃ、いや、月影君がいる事を知ったんだね? いや、C I Aが関係しているとどうやって知ったのかな?」

「そ、それは、その、ここにいるらしいって噂が・・。いないんですか?」

 さすがに情報の出所を言うのはためらう聡史。聡史自身も尾之多博行がどうやってそれを知ったのか知らない。が、あぶない情報筋ではある事は感じていたため、黙っている方が賢いと判断した。

「ふ~ん。噂ね? それは後に聞くとして、月影君と交換する時間と場所を知っているかい?」

「わかりません。警察で聞いてみてください。麻也さんを助けて下さい」

「分った。後はわたしに任せなさい。君は家に帰っておとなしくしているんだ」

「あの、でも、」

「君は麻也ちゃんが好きなんだね?」

「はい」 と、赤くなる聡史。

「じゃあ、なおさら、危険な所に行っちゃいけない。麻也ちゃんの事は大丈夫。わたしが責任を持って助けるよう努力するよ」

「本当に大丈夫なんですか?」

「ああ。しっかし、C I Aの奴ら、こちらから聞くだけ聞いといて、なんの情報も教えてくれん。こうなると、あれはC I Aとどういう関係の情報ソースなのか・・・。誘拐と関係なけりゃいいが・・」

「何か手掛かりが?」

「いや、こちらはまた別口の事さ。それより、」

 矢城刑事は麻也の家に電話をして誘拐事件の事を確認した。

「幸坂さんのお宅ですか? わたしは森御蔭署の刑事の矢城と