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2008年2月

ハンサム・ザ・キャット~愛の因数分解~ 〈4.結婚のABC その2〉

「あの、僕、買いたい物があるんです」

 麻也がまだ帰ってきていない、夕食時、僕は台所の家事を手伝いながら、麻也のお母さんに相談をした。麻也のお母さんは僕の保護者みたいな立場だったし、僕は普段殆どお金を使わないので、給料はいつも麻也のお母さんに渡していた。

「いくら必要なの?」

「指輪を買うのってどのくらいお金がいるのかな?」

 麻也のお母さんはびっくりして僕のほうを見つめた。

「あなた、麻也に結婚を申し込むつもりなの?」

「はい。申し込むには指輪が必要だって聞いて」

「ちょっと待ってね。あなた! ちょっと来て頂戴!」

 麻也のお母さんが麻也のお父さんを呼んだ。呼ぶと、居間の方から麻也のお父さんがやってきた。

 僕はお父さんが嫌いと言う訳じゃないけど、ちょっと苦手なんだ。猫だった時は、お休みの日なんか、喉を撫でたりしてくれていたのに、人間になった途端、最初から殴られそうになったり、怒鳴られたりしたからね。女の子を持つお父さんっていうのはそういうものらしいって、穣さんに聞いたけど、やっぱりまだ、ちょっと怖い。

「なんだとっ! 麻也と結婚したいんだと? 半人前のくせに、百年早いわ! だいたい、麻也はまだ18の子供だ。世迷い言をいうな!」

 お母さんから話を聞いたお父さんは、いきなり大声で僕に言うと、さっさと居間の方へ戻っていった。僕はちょっと、ビクビクしながら、

「あの、よまよいごとってどういう意味なのかな?」

 と、麻也のお母さんに聞いた。

「結婚はまだ早いんじゃないかしらって事なのよ。麻也はまだ大学に入ったばかりだからね」

「でも、僕、百年も待っていたら死んでしまうよ」

「それは例えの話よ。一人前になってから結婚しなさいって言いたいのよ」

「お父さんの言う一人前になるにはどうしたらいいのかな?」

「そうね。あなたはまだ義務教育も受けていないようだから、こうしたらどうかしら。わたしが知っている夜間高校があるの。そこに義務教育の為の特別のプログラムがあるから通って受けてみたら?」

「勉強すれば一人前になれるって事?」

「いいえ、そういう訳じゃないけど。義務教育の終了書を取れば、一応人並みという事で、お父さんの気持ちも収まると思うわ。努力をしているって所を見せるのよ。それに、あなたが世間を渡っていくのにも役立つかもしれないわ」

「気持ちが収まれば結婚を認めてもらえるって事だね?」

「まあ、そう考えてもいいと思うわ」

 でも、僕にそんな勉強なんて出来るのかな。と、考えていると、

「麻也の為にと思って頑張ってみれば?」 と、お母さん。

「はい。頑張ってやります!」

 結局、指輪の前に、勉強をしなくちゃならない事になってしまった。

「おい、月影」

 仕事が終わって帰ろうとしていたら、音寺さんが話しかけてきた。

「お前、夜間の学校に行く事になったんだってな。大変だな」

「うん。でも、麻也のためだから」

「がんばれよ。ところで、明日、学校も休みなんだろ?」

「うん。そうだけど」

「明日、俺ん家でビデオの鑑賞会をやるんだが、見に来ないか?」

「ビデオ?」

「そうだよ。結婚の役に立つかもしれないぞ。麻也ちゃんに内緒で来いよ」

「麻也に内緒で? どうして?」

「そりゃあ、男の為の愛の勉強会だからな。待ってるぞ」

 手を振って音寺さんは帰っていった。

 僕は家に帰って晩御飯を食べると、夜間高校に行くために電車に乗る。途中の駅で一度降りて、反対方向からやってくる電車に乗っている麻也を待つ。麻也も一度降りてきて、僕としばらくお話する。それから、次の電車で麻也は家に、僕は学校に向かう。

 家に帰るのが遅くなるので、麻也とお話する時間が少なくなったため、電車の時間差待ちデートを麻也が思いついたんだ。

 その日の帰り、僕が駅を降りて家に向かおうとしていると、駅前近くで尾之多君が僕の肩をたたいた。

 尾之多博之君は、麻也を好きな人間の男の子だ。前に狼になって麻也を襲おうとした事があるし、猫鍋事件でフランソワとライバルみたいに戦ったりした、ちょっと怖い所がある。でも、その後、誘拐事件の時や、遊園地の事件の時には、僕達を助けてくれた。僕はあまり好きじゃないけど、悪い人間ではないみたいだ。

 尾之多君は大事な用事があると言って、半分無理矢理、僕を車に乗せた。

 あんまり遅くなると麻也が心配するといけないから、と言うと、麻也の家には電話してあるから大丈夫と言う。

 ちょっと不安な気持ちの僕を乗せて、車はすごく大きな門の前に止まった。門が開いて、車のまま奥に入ると、公園のような広い庭を通って、奥の方の建物の前で降りた。

 建物もすごく大きくて、中の飾りもすごく豪華だった。長い廊下を通って、裏口に抜けると、別の少し小さめの建物の中に入った。その中の部屋の一つに二人で入ると、尾之多君は部屋の鍵を掛けた。

 僕は胸をドキドキさせながら部屋の中を見回した。応接セットと奥の方にベッドがあるだけで、台所がないのでちょっとホッとした。僕は今は人間だし、尾之多君は僕が猫だった事を知らないはずだけど、猫鍋事件を思い出してちょっとビクビクしてたんだ。

 尾之多君は上着を脱いで、奥の方のベッドの端に腰掛けると、自分の腰掛けた横を手で叩いて、

「ここへ来て座れよ」 と、言った。

「大事な用事ってなに?」

 おそるおそる横に座りながら聞くと、

「お前、経験がないというのは本当か?」

「経験って、あ、あの事? うん。本当だよ」

 最近そういう事ばかり聞かれるので、すぐに結婚の話だなと分かった。

「ふ~ん。では、これを見てみろ」

 尾之多君はベッドの側のテレビをつけた。テレビに女の人の裸が映る。女の人は、テレビを見ている人の方に向かって、ウィンクしたり、いろんな格好をしてみせた。尾之多君はテレビではなく僕の方をじ~っと見ていて、

「何か感じているか?」

「何かって?」

「もしかして、こっちなのか?」

「こっち?」

 突然僕をベッドに押し倒すと、すごく優しそうな、でもどこか変な雰囲気の顔になる尾之多君。僕の目を見つめながら、黙って僕の髪の毛や顔を優しくなでると、キスをしてきた。僕はびっくりして尾之多君の腕から逃げると、

「尾之多君が好きなのは麻也じゃなくて僕だったの?」 と、聞いた。

「ふん。こっちではないのか。ではこれか?」

 尾之多君がテレビのコントローラーを押すと、猫がたくさん出ている画面に変わった。僕はドキッとして尾之多君の方を見た。

「まさかとは思っていたが、やっぱりこれなのか」

 そう言って、頭を振って深くため息をついた。

「やっぱりこれって、どういう意味?」

 猫だった事が分かったのかと、ドキドキしながら聞いた。

「お前、麻也と結婚したいと言っていたそうだな。本気でそう思っているのか?」

「うん。今、麻也のお父さんに認めてもらうために、学校にも通っているよ」

「麻也は人間なんだぞ。フランソワのような猫じゃない」

「わ、分かっているよ。僕、人間として麻也と結婚したいんだ」

「人間として・・・か。麻也がそれを望むなら、仕方ないな」

 尾之多君はベッドの下から紙バッグを取り出して、僕の方に渡してくれた。

「中にビデオが入っている。人間の愛し方が映っているからな。良く見て勉強しておけ。いいか、音寺の誘うビデオは絶対に見るな。絶対だぞ。他の誰かから見ようと誘われても、貸してくれても、他のビデオは絶対に見るな。この中のビデオだけにするんだ。麻也には知られないよう、麻也のいない時だけ見て、マスターしておけ。僕が二年後に日本に帰ってくるまでに、しっかりマスターしておけよ。でないと・・」

「でないと?」

「麻也は僕の子供を産むことになる」

「え~っ!?」

 僕は頭の中が真っ白になるくらい驚いた。

「嫌ならしっかりマスターしろ。それから、今日のこの事は麻也には絶対秘密だぞ。ビデオの話もな。もしバレそうになったら、この本を渡してもらったと言っておくんだ。ついでに読んでおけ」

 そう言って、本を2冊渡してくれた。

「それから、麻也との間の事を軽々しく人に話すな。そういう事は聞かれても答えないで秘密にしておくのが、大人の男というものだ。分かったな? 僕の言った事や秘密は絶対に守れよ。でないと・・」

「でないと・・?」 僕はゴクっと唾を飲んだ。

「お前が僕とキスをした事を麻也に言う」

「ええ~っ!!」

「そんな事を聞いたら麻也が悲しむだろ。麻也の為だ。秘密は守れ。いいな?」

「は、はい」

 僕は頭の中が真っ白になって、考えることも出来ないような状態のまま、尾之多君の車で送ってもらった。

「僕が日本にいない間に、もし万が一、誰にも相談できないようなことが出てきたら、設楽に相談しろ。じゃな」

 設楽怜侍(したられいじ)さんは僕と同じ職場の人で、僕と同じ時期に穣さんの所に来た人だ。あまり話した事はないけど、尾之多君と知り合いだったなんて。

 僕、麻也に秘密を持ってしまった!

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ハンサム・ザ・キャット~愛の因数分解~ 〈3.結婚のABC その1〉

「結婚する方法かい? そりゃあ、普通は、先ず相手の親に会って、交際を認めてもらってだな、それから、お嬢さんを下さいって正式に申し込むのが、ゆかしい日本の方法だな」

「親が認めないと結婚できないの?」

「ん、まあ、最近はそういうのは流行らないって考え方が多いがね。お互いが好き合って結婚したいと思えば、それで結婚が成り立つのが最近の風潮だな。でも、親と一緒に住んでいるからには、やっぱり、形だけでも人間関係を大事にするべきだと、俺ぁ、思うがね」

 仕事の昼休み、月影ハンサムは神楽坂穣に、結婚の相談に乗ってもらっていた。

「人間は幾つになったら大人になるの?」

「そりゃあ20才だ。20才になったら自分に責任を持たなくちゃいけねえってんで、成人式とかをやるんだが、最近の若いモンは分かってんだか、どうだか。おっと、話が逸れちまうな。え~と、麻也ちゃんは今18才だから、もう結婚は出来る歳だな」

「大人にならなくても結婚出来るってこと?」

「女の場合はそうだな。男は20才からって、法律でそう決まっているんだ。事情によっちゃ、男は18才から、女は16才でも結婚できるって事になってるがな。まぁ、自分で自分の面倒みる事が出来る歳になってから結婚した方が、いい事はいいんだがな」

「自分で自分の面倒をみるって、どういう事をいうの?」

「一つは経済的自立ってやつだ。つまり、人間ってのは生活するのにお金がいるだろ。結婚しても生活できるだけのお金を稼げるかどうかって事さ。結婚すりゃ、子供も生まれるしな。

 もう一つは、いわゆる社会的自立ってやつだ。世間とうまくやっていけるかってのと、家族といい生活をしていけるかどうかって事だ。

 一言で言っちまえば、一人前かどうかっていう問題だな。もっとも、一人前でなくても結婚する御仁も多いようだが。まぁ、これからの成長に期待するって所なのかもしれんな。

 ちょっと難しすぎたかな?」

「僕、人間として一人前になれるかなぁ」

「人間として、と言うならば、大切なのは一人前かどうかって事よりも、一人前になる努力を忘れないって事の方だと、俺ぁ思うね」

「僕、一生懸命努力するよ」

「お~い。月影。今すぐに結婚したいのなら、できちゃった婚ってのもありだぞ」

 穣とハンサムの相談話を近くで聞きかじっていた、仕事仲間の一人が声を掛けてきた。

「できちゃった婚?」

「つまり、結婚する前に、子供を作っちゃうのさ。そうすれば、親も認めないわけにはいかないだろ?」

「え~っ!? 結婚しなくても子供が作れるの?」

「簡単だろ。避妊しなけりゃいいのさ」

「ひにんって、どういう意味かな?」

「避妊ってのは、そりゃ、ナニする時に子供が出来ないようにする事だよ」

「ナニってなに?」

 話を聞いていた仲間達の注意が一斉にハンサムの方に注がれる。

「え~っと、つまりな、子供が出来るような行為をする時にだな、子供が出来ないように注意する事を避妊と言うんだよ」

「?? 結婚するって、子供を作るような行為をする事でしょ? 結婚する前に結婚するような事をして、結婚できないように注意する??」

 猫の知識と人間の知識の間で混乱しているハンサムに、仲間のもう一人が質問を入れる。

「月影、今までに経験なしって事はないんだろ?」

「結婚の経験はないよ」

「そうじゃなくてさ。その、今までに、麻也ちゃんの前に付き合った女とかいないのかい?」

「いたよ。フラン・・、えっと・・」

 本当の人間になろうと心に決めた時から、猫だった事を知られないよう、気をつけなくちゃ、と考えるようになったハンサムだった。が、時々、混ざってしまう記憶と事態に苦労していた。

「そのぅ、前に、結婚したいって思った女の子がいたんだけど、その時には、まだ彼女が子供だったから、大人になってからしようって約束してたんだ。でも、ちょっと事情があって、大人になったらふられちゃったんだ」

「じゃあ、その女の子とは子供が出来るような行為はしなかったって事なんだな?」

「うん、そう」

「という事は、麻也ちゃんが初めての相手だったのかい?」

「ううん。麻也ともまだしていないよ」

 話を聞いていた仲間の一人が食べていた弁当を落しそうになった。

「え~っ? 嘘だろ! だって、お前、麻也ちゃんと一緒のベッドで寝てるって言ってたろ」

「嘘じゃないよ。一緒に寝てるのも本当だよ」

「一年間、ず~っと一緒に寝ていて、まだしてないって?」

「うん」

「良く眠れるなぁ!」

 感心する仲間に、あんぐりと口を開いたままの仲間。信じられないまま、ハンサムを見る仲間。

「まぁ、まぁ、いいじゃねぇか。人はそれぞれだからな」

 穣が割って入る。

「ところで、月影。麻也ちゃんにプロポーズはもうしたのかい?」

「プロポーズ?」

「結婚の申し込みだよ」

「ううん。まだだよ」

「じゃあ、結婚を申し込むのが先だな」

「申し込むって、どうやったらいいの?」

「簡単だよ。僕と結婚してくださいって、そう言えばいいのさ」

「おい、おい、それだけじゃダメだよ。申し込むときにはムードが大切だよ。ただ言うだけじゃ断られちゃうかもしれないぞ」

「そうだ、そうだ。麻也ちゃんだって、きっとロマンティックなプロポーズを夢見ているに違いないよ」

「ロマンティックなプロポーズって、どんな事をすればいいのかな?」

「まず、海辺にデートに誘ってだな、それからラヴラヴの映画を見たりしてな、」

「ふんふん」

 独身男達が寄ってきて、頷きながら音寺毅の話に聞き耳を立てる。

「それからムードたっぷりの高級レストランで食事をするんだ。食事が終わったらダイヤモンドの指輪を出して、」

「ちょっと待った。麻也ちゃんがダイヤを好きとは限らないぜ」

「そうか。月影、麻也ちゃんが好きな宝石はなんだ?」

「宝石? ううん。知らない」

「じゃあ、前もってどんな宝石が好きか聞いておく必要があるな。で、その好きな宝石の付いた指輪を渡して、」

「ちょっと待った」

「今度は何だい?」

「指輪だけじゃムードが足りないよ。花束も持っていかなきゃ」

「そうか、俺としたことが! よし、じゃあ、ウェイターに花束を届けさせよう。ついでにヴァイオリンの演奏者も呼ぼう。そこで、ムードたっぷりのバックミュージックの中、花束を差し出して、片足を跪いて言うんだ。愛しています。俺と結婚してください。すると、彼女は頬を染めて頷き、そこで指輪を出して、彼女の細く白い薬指にはめる。きっと、居合わせたレストランの客が拍手をしてくれるな。それから夜の国道をドライブして高級ホテルに、」

「ドライブって車で遊びに行く事でしょ? 僕、運転できないよ」 と、ハンサム。

「おっと、そうだ! 俺、車は持ってなかったんだ。やっぱり自前のカッコいいやつでないとな。やっぱり車を買うのが先かな」

「音寺さん、ひょっとして、自分がプロポーズする時の計画だったのかい?」

「あははははは」

「音寺さんも麻也が好きなの?」

 不安そうにハンサムが聞く。

「違う、違う。これから相手を探す予定なのさ」

「心配するなよ、月影。みんなお前を応援してるんだ」

「そうだよ。ドライブは出来なくても問題ないさ。取り敢えず指輪を用意するのが先決だな」

「そうそう。頑張れよ」

「ありがとう」

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沙美依のモノローグ 2008.2.22

 今日は〈猫の日〉なんだそうです。1987年に猫の日制定委員会が決めたらしいです。222でにゃんにゃんにゃんだそうです。

 くしくも、『ハンサム・ザ・キャット~愛の因数分解~』 の始まりの、〈猫と人間の間〉 の、ハンサムの設定年齢(人間の年齢で21才くらい) と同じ、21年目の猫の日です。

 だからという訳ではありませんが、沙美依の絵本のイラスト集の形態をちょっと変えてみました。

 

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ハンサム・ザ・キャット~愛の因数分解~ 〈2.猫と人間の間〉

 僕の名前は月影ハンサム。人間になる前は猫だった。と言っても、前世とかの話じゃないんだ。

 僕が生まれたのは三年前。母さんはアメリカンショートヘアと言う血統書付きの猫で、父さんは雑種の野良らしい。

 独り暮らしのお金持ちのお婆さんが、僕ら家族の飼い主だった。お婆さんは僕らをとても大切に、人間の家族と同じように扱ってくれていたらしい。らしいと言うのは、その時は、僕はまだ生まれて間もない赤ちゃんで、一緒に生まれた姉妹と一緒に、母さんのおっぱいを飲んでは眠るだけだったから、お婆さんの事をあまり良く覚えていないんだ。

 ある朝、母さんはいつものようにお婆さんを起こしに行くと、頬を舐めても冷たくて、服を引っ張っても、お婆さんは起きてこようとしなかった。

 母さんはその後も何度もお婆さんを起こそうとしたけれど、一週間が経つ頃、お婆さんを起こすのを諦めてしまった。

 お婆さんが亡くなっても、僕ら家族はその家に住んでいた。食事のキャットフードは沢山買い込んであったから、母さんは袋をかじって少しずつ勝手に食べることが出来たんだ。

 僕が生まれてから二ヶ月になる頃、突然家のドアが大きな音を立てて開けられた。オモチャを転がして遊んでいた僕たちはびっくりして、寝床になっている箱の中に戻って、おっかなびっくり外の様子を窺っていた。

 人間達が大勢入って来て、お婆さんの亡骸を見つけると、何か大声でわめきながら騒いでいた。

 父さんはどこかへ出かけていていなかった。母さんは人間達が出たり入ったり忙しそうにしている様子を見ていたけど、ここは安全じゃなさそうだと考えたんだね。人間達が気がつかないうちに僕らをどこか別の場所に運ぼうとしたんだ。

 ところが、母さんが下の妹をくわえてどこかに運んでいっている間に、人間の一人が僕と姉さんに気がついたんだ。僕らをタオルに包んで抱きかかえると、他の人間達と何か相談していた。

 母さんのお出かけ用のケージに入れられて、僕らは自動車で保健所の動物を一時的に保護する場所に連れて行かれる事になった。

 姉さんはすぐに貰い手が見つかったけど、僕は保護期間が終わってもそこにいた。後から知った話では、僕はそこに保護されている他の動物と同じように殺される所だったんだって。でも、係りの人が僕を可哀そうに思って引き取ってくれたので助かった。

 係りの人の名前は高原浩司さん。とても優しいお兄さんだよ。住んでいる家が動物を飼ってはいけない所なのに僕を引き取ってくれたんだ。でも、ずっと僕を置いておくことは出来ないから、高原さんは僕を箱に入れて捨てる事にした。僕がいい人に巡り合うまで、箱を置いた場所を見張っててくれたんだ。

 そうして、僕は美弥ちゃんに出会う事になった。美弥ちゃんは5歳の人間の女の子。美弥ちゃんのお母さんもとっても優しくて、僕は美弥ちゃんの家で幸せな一年を過ごす事が出来た。

 一年経った頃、僕は、近所の家に可愛い子猫が貰われてきたのを知った。名前はフランソワ。僕が挨拶をしにいくと、フランソワはその美しい青い目でじっと僕を見つめて、心の中まで響くような綺麗な声で挨拶し返してくれた。そして僕とフランソワはお互いに運命的なものを感じたんだ。

 ふたりはとても仲良くなって、将来を約束し合うようになった。僕はすぐにもフランソワと結婚したかったけど、彼女はまだ6ヶ月の子供だったから、彼女が大人になるのを待つことにしたんだ。

 ところが、しばらく経った頃、突然、フランソワの飼い主が何処かへ引っ越してしまった。僕はフランソワにさよならさえ言う事が出来なかった。

 僕は近所の猫達に聞いたり、一生懸命彼女の行方を探そうとしたけど、見つけることが出来なかった。

 その時、何かが僕にささやいているような気がした。フランソワを探しに旅に出なくてはいけないと。

 そうして、僕は美弥ちゃんに別れを告げて、ひとり旅に出た。あてのない、行き先のない旅だった。

 旅に出てから一年近く経った頃、僕は麻也に出会った。麻也はその時、高校三年の受験生だった。

 その時、僕は悪戯な人間の男の子達に水鉄砲の標的になっていて、ヒドイ目に遭っている所だった。麻也は僕を助けてくれて、飼い主を探そうとしてくれた。でも、僕はもうずいぶんと遠くに来ていたので、美弥ちゃん家は見つからず、麻也が僕に、家の子にならないかって、言ってくれたんだ。

 僕は、もう一年近くフランソワを探し続けていて、少し疲れていた事もあったし、麻也がとっても優しい女の子だって事が分ったので、飼われる事にしたんだ。

 今考えると、麻也に出会うために旅に出なくてはならなかったのかな、と、思う事がある。その時は麻也は人間で、僕は猫だったけどね。

 麻也はとても優しいのに、周りの人間達は誰もそれに気づいていない。みんな、自分の事しか考えていなくて、ひとりぼっちみたいで寂しかったんだと思う。麻也は願い事の叶う不思議な〔月の石〕に、僕が人間になって麻也とお話出来るように願ったんだ。

 そりゃあ、もう、僕はびっくりしたよ。次の朝、起きてみたら、僕の体が人間になっていたんだから。麻也も本当に願い事が叶ったのでびっくりしていたけどね。

 だけど、麻也とお話できるようになって、僕も楽しかった。人間と話が出来るなんて想像もしていなかった事だよ。

 突然人間の僕が現れたので、麻也の家では大きな〔波風〕が立ったらしい。その時の僕は、体は人間でも意識は猫のままだったから、前から住んでいる家だし、飼い主の麻也がいてもいいと言ってくれたので平気でいられた。他の麻也の家族が僕がいる事をどう思うかなんて、考えもしなかった。

 結局、僕は麻也と一緒にいられる事になったけど、どこがどうなって、みんながいいと思ってくれるようになったのか、今でもよくはわからない。〔波風〕の原因が、麻也が女の子で、僕が人間の男だった事らしいと分かる様になったのは、最近の事なんだ。

 少し話は戻るけど、僕は麻也の家に住むようになってからも、フランソワを探し続けていた。いろいろな偶然が重なって、僕は人間になってからフランソワに再会することが出来た。そして、僕は人間のまま、麻也の家でフランソワと一緒に楽しく過ごす事になったんだ。

 それなのに、しばらくして、フランソワは家出をしてしまった。その原因が、僕自身の意識が猫から人間に変わってきている事かもしれないって分かったのは、大きな事件に巻き込まれて、麻也と離れ離れになったりした後だった。

 僕自身、麻也を追いかけている人間の男の子にヤキモチを焼くような気持ちになったりして、戸惑っていたんだけど、麻也を好きなのは猫だった時からずっとだったから、それが猫としてのものなのか、人間としての気持ちなのか、はっきりとは分からなかったんだ。

 麻也が〔月の石〕を見つけてきて僕に渡して、猫に戻れるよ、って言ってくれた時、僕はとても複雑な気持ちになった。僕はひとりになって、本当に猫に戻りたいのかどうかよく考えた。それで、僕は人間のまま麻也と一緒にいたい自分に気がついたんだ。

 麻也も僕が人間のままいる事を喜んでくれたので、僕はとても嬉しかった。麻也と一緒にいて、麻也とお話して、一緒に家事をしたり、遊んだり、眠ったり。楽しい日々だった。

 そんな時に遊園地の事件が起こったんだ。その時僕は、麻也を好きな人間の男の子が、麻也に近づくかもしれないって感じて、すごく嫌だった。麻也を取られてしまうような気持ちになって、とても苦しかった。自分が本当の人間になって、麻也の人間の恋人になりたいって思うようになったんだ。

 こんな事を望むのはいけない事なのかな。僕はまだ、人間として不完全かもしれないけど、麻也も僕を人間として見てくれて、大好きだって言ってくれたし、僕は麻也を誰にも渡したくない。麻也と結婚したいんだ。

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ハンサム・ザ・キャット~愛の因数分解~ 〈1.月の疑惑〉

〔MIKU〕 ねぇねぇ、知ってる? 願い事の叶う『月の石』があるんだって (‘∀‘)♪

〔§りな§〕 ホント? アニメとかの話じゃないの (゜σ゜)?

〔まゆか〕 『月の石』ってNASAが持ち帰ったやつだよね。ウソッぽ~い

〔MIKU〕 そのヒトはホントに叶ったって (^∀^)~♪

〔空猫ミータ〕 どこのドイツが ('о')?

〔こうちゃん〕 願い事の叶うなんとかってよくあるじゃん。確率の問題じゃないの?

〔§りな§〕 ホントだったらためしてみてもいいかも !(´∀`)!

〔まゆか〕 よくある映画とかの宣伝くさいよ

〔kira☆〕 そう そう ケイタイかんれんのホラーとか (‘д‘)/

〔空猫ミータ〕 どんな願い事が叶ったのか聞いてみたい\('∀')/

〔MIKU〕 聞いたけど 答えてくれなかったんよ (´д`;)

〔kira☆〕 やっぱりウソってか !(`д´)!

〔こうちゃん〕 注目あびたい寂しがりやさん?

〔まゆか〕 そんなのホントにあったら みんな苦労しないって

〔MIKU〕 でも 絶対ホントだって。そのヒト 後悔してるから みんなに 注意したかったから サイトに書いたって \(゜о゜)/

〔空猫ミータ〕 後悔って、なんか悪事でも願ったのかな (´д`)?

〔kira☆〕 ホラ-がゲンジツになったら怖いけど (゜θ゜;)

〔こうちゃん〕 そんなのホントにやったらゆるせないなあ

〔§りな§〕 そのヒト 変! アタシならカレシと世界一周旅行とか!  (‘∀‘)~♪

〔空猫ミータ〕 絶対 宝くじ三億円!!

〔kira☆〕 世界征服もできるかな \(゜σ゜)/?

〔こうちゃん〕 地球温暖化ストップ、人類みな平和

〔まゆか〕 みんな 願い事大きすぎ!

〔kira☆〕 棒くらい願って 針くらい叶うって ことわざもあるよ           /(´д`)\

〔まゆか〕 神様の都合を考えると 小さい方がいいんじゃないの?

〔こうちゃん〕 叶えるシステムによると思うよ

〔空猫ミータ〕 その『月の石』って どこで手に入れたんだろう            ('о')?

〔まゆか〕 NASAで売ってるのかな?

〔MIKU〕 がちゃがちゃで 手に入れたって (^∀^)~♪

〔§りな§〕 あのオモチャが入っている 丸いカプセルが出てくるやつ     (゜о゜)?

〔まゆか〕 なんだ やっぱり ガセネタくさいね

〔kira☆〕 そうとは言えないよ NASAの経済政策のひとつかも     (‘σ‘)!

〔§りな§〕 こんどさがしてみようかな (‘∀‘)~♪

〔名無しさん〕 こんばんわ。はじめまして。新入りです。今、聞いていたんですが、その『月の石』はどこのがちゃがちゃで手に入れたか知っていますか?

〔§りな§〕 そうだよねっ それが聞きたいっ ⊂(‘о‘)⊃

〔MIKU〕 それも詳しくは言ってなかったけど 神出鬼没とかって    \(゜д゜)/

〔§りな§〕 神出鬼没ってなに?/('д')\

〔こうちゃん〕 どこに現れるかわからないって事だよ

〔kira☆〕 ヒューヒュー、カッコいい (^。^)/

〔まゆか〕 がちゃがちゃ業界の戦略くさいね

〔空猫ミータ〕 ちょっとやってみたくなるもんね (´ⅴ`;)

〔名無しさん〕 ほかに手に入れた人を知っていますか?

〔MIKU〕 そのヒトの知り合いが手に入れたらしいって。 でも 使う前に その知り合いのママがゴミに出しちゃったらしいわ (´д`;)

〔名無しさん〕 その人の名前とか住所とか、分りますか?

〔まゆか〕 ちょっと、新人さん。チャットにもエチケットってモンがあるンよ。そういう事はホンニンに直に問い合わせてね !(`д´)!

〔名無しさん〕 すみません。そのサイトを聞くのもエチケット違反ですか?

〔MIKU〕 サイト訪ねても そのヒトはもういないよ (´д`)

〔kira☆〕 はっは~ん。 集中攻撃でもされたかな ('^')?

〔名無しさん〕 集中攻撃ですか?

〔空猫ミータ〕 いいかげんな情報だと みんなが判断したのサ。で、追い出しでもくったってところかな (^д^;)

〔MIKU〕 でも、それで、アタシは逆に ホントかもって 思ったんだケド  /(σ。σ)

〔こうちゃん〕 ところで、名無しさん。誰の紹介ですか?

<名無しさん、サイトから外れました>

〔まゆか〕 え~っ! 信じられない! もしかして、紹介者無し?

〔空猫ミータ〕 それはありえないでしょ。 このサイトに入るには必要なはず (゜^゜)

〔kira☆〕 じゃあ 誰が (゜д゜;)???

〔まゆか〕 ちょっと、管理者さん! しっかりしてよねっ!(`゜´)!

<          >

「それで、〔月の石〕 の調査結果は?」

「今の所、報告されているのは、あの件を含めて7件です。実際に願い事が叶ったというのは、そのうちの6件で、1件は石が捨てられて使われなかったケースです。6件のうち、事実関係が確認されているのは、やはりあの件を含めて3件です。他は関連性を証明するのは難しいと考えられるケースです」

「では、〔月の石〕 の捜索結果は?」

「まだです。発生している地域が限定されているので、周辺の〔ガチャガチャ〕をチェックしたり、器械の業者にもあたってみましたが、まだみつかりません。

 捨てられた石を探してみましたが、日にちが経っている事から、ゴミとしてすでに埋められている可能性が高く、発見するのは不可能に近いと思われます。

 今後は地域を限定せずに調査範囲を広げる予定でいます」

「〔月の石〕という手段を介しての、なんらかの組織の存在の可能性は?」

「否定できません。まだ存在を知られていない闇の組織が手の込んだ売込みをしている可能性があります。闇のサイトにも武器商人のサイトにも載っていないという事から、手始めの実験的な物だった可能性もあります」

「今後、どんな武器や化学兵器が出てこないともしれない。引き続き調査と捜索にあたってくれ」

 某機密機関の首脳達は、月の石にまつわる情報や、存在するかもしれない闇の組織に関する情報を捜し求めていた。

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沙美依のモノローグ 2008.2.9

 今日は寒いと思ったら雪が降ってきました。この様子ではだいぶ積もりそうです。

 しんしんと静かに降り積もる白い世界。外はきーんとしばれる様な冷たい空気。部屋の中で暖かいお茶でも飲みながら、遠い世界に思いをはせる。そんな冬の一日になりそうです。

 ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語り~ 5ヶ月でやっと、終わりました。

 閲覧してくださった皆様、ありがとうございました。

 ハンサム・ザ・キャット 第二部にあたる ~愛の因数分解~ を今、考えています。

 殆ど、自己満足ばかりの物で、どこまで出来るか分りませんが、良かったら、また見てみてください。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈50.始まりのファーストキス〉

「さあ、早いとこ、ここから逃げるぞ」 と、博行。

「まだ、何か起こるの?」 と、麻也。

「マスコミに捉まりたくないだろ?」

 遅ればせながら到着した警官達が張ったテープの向こう側で、危ないから遠ざかって下さいと言う拡声器の声や、場内アナウンスがあるにも関わらず、いつの間にかやって来たマスコミや野次馬がひしめいていた。

 博行の先導によって遊園地から無事抜け出す事が出来たふたり。車で家の前まで送ってもらった。

 家に戻ってテレビをつけると、まだ、他のゴンドラからの救出劇の最中だった。梯子車が二台も出動している。命綱をつけた消防のレスキュー隊員達が観覧車の枠を登っていた。救出用のヘリコプターも出動しているようだ。

 原因は何者かのテロによる爆破らしいと報道されていた。子供を助けた青年は名前も告げずにどこかへ行ってしまったという事になっている。真実は隠されたままになるのだろう。

 帰りの車の中での博行の説明によると、

「あの事件の後、結局一味の尻尾は捕まえられなかったんだ。でも、消えてしまったデータの元の出所をどうしても知りたい奴がいてね。ニセの情報で罠を仕掛けたんだ。で、餌にされた月影が抹殺されかかったってワケ。あいつらは月影をどこかの秘密組織のエージェントとでも思っていたに違いないね。たぶん、これで一味は捕まるはずだから、もう大丈夫だと思うよ」

「茜さんてそんなに悪い人じゃないように思ったけど。あのカプセルって、普通の薬じゃなかったの?」

 と、ハンサム。

「くくっ。そうだよ。薬よりも始末の悪い物だったんだ」

「薬よりも始末の悪い物ってなんだろう?」

「知らない方がいい事もあるのよ」

 と、麻也。

「でも、ヒドイわ。知らないうちに囮にされていたなんて」

「心配するといけないから言えなかったんだ。僕らがどうにか出来る組織じゃないからね。その代わり、ちょっと別の組織を味方に付けておいたから、お守り代わりくらいにはなっていると思うよ」

「尾之多君・・・。わたし、お願い出来る立場じゃないけど、でも、もうこれ以上危ない事に関わらないでほしい」

「分ってるよ。そんなに心配するような事はしてない。僕だって命は惜しいからね。月影、矢城刑事からもらったペンダント、つけてる?」

「うん」

「大事なお守りだから外すなよ」

「分った」

「ありがとう、尾之多君」 と、麻也。

「いいかげん、名前の方で呼んでほしいな。博行って」

「ありがとう、博行」 と、ハンサム。

「ちっ、お前に呼ばれるのは想定外だ。麻也、僕の第2ボタン、持っていてくれよ。何かあったら必ず駆けつけるから」

「ありがとう、博之君」

 その夜、ハンサムは麻也が寝る用意をするまで、ベッドに座って起きていた。

「眠れないの?」

「ううん。ねぇ麻也、僕、本当の人間になれるかな?」

「大丈夫よ。今でも本当の人間に見えるわ」

「そうじゃなくて、その・・・、麻也は僕の事をどう思っているの?」

「どうって?」

「麻也にとって僕は、今でも猫なのかな。それとも、人間になってる?」

「わたしは、」 と、言いかけるのを、ハンサムが続ける。

「僕は、僕は麻也と同じ人間になりたい。同じ人間になって、同じ人間として麻也を好きだって言いたいから」

「ハンサム・・・。わたしにとって、ハンサムはずっと前から人間になっているわ」

「本当? 麻也、キスしてもいい? 人間みたいに」

 黙ったまま見つめあうふたり。静かに麻也がうなずいた。

 ハンサムの唇が麻也の唇にそっと触れる。

「麻也、大好きだよ」

「わたしもよ、ハンサム」

 ふたり、抱きしめ合う。ふと、ハンサムが、

「麻也、麻也は僕を捨てたりしないよね?」

「もちろんよ。ずっと、ずっと側にいてね」

 しっかりと麻也を抱きしめるハンサム。ハンサムを抱きしめる麻也だった。

                 

                ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ //

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈49.遊園地の出来事〉

 次の日の朝、麻也は、窓を開けて早朝の空気を入れようとした時、窓の下の光の中にハンサムが立っているのに気がついた。

「ハンサム! 今、玄関を開けるわ」

 麻也は急いで階段を下り、玄関の鍵を開ける。

「麻也、僕、入ってもいい?」

「もちろんよ、ハンサム。朝御飯は食べた?」

「ううん」

「今すぐ、作るわね」

 麻也が作り始めると、ハンサムが手伝いはじめる。いつもと少し違うのはふたりの会話がはずんでいない事だ。みんなの分の準備も終えると、ふたりは食卓についた。まだ、朝は早く、みんなはまだ寝ている。

「麻也、僕、穣さんの所に行って、ひとりでよく考えたんだ。本当に猫に戻りたいのかどうかって」

 ゆっくりと話し出すハンサム。麻也はうなずきながら聞いている。

「もし僕が猫に戻ったら、きっと、フランソワは僕の所に戻ってきてくれると思う。前に考えていた通り、フランソワと結婚して、子供を育てて、普通の猫の生活に戻る事が出来るようになると思う。

 でも、そうしたら、もう、こうやって麻也とお話したり、一緒に食事の支度をしたり、外に出かけて遊んだり、出来なくなるんだよね。その事を考えたら、僕、とても寂しく思った。

 麻也、僕、フランソワが嫌いになったわけじゃないんだ。麻也との生活がなくなるのがとても寂しいって感じるんだ。麻也と離れ離れになるわけじゃないのに、猫としてずっと飼ってくれるって分っているのに、こうやって麻也とお話出来なくなってしまうのが嫌なんだ。

 猫に戻るのが嫌なわけじゃない。人間の生活って大変だし、猫でいる方がうんと楽だけど、でも、麻也と話せなくなるのは嫌なんだ。

 麻也と一緒にいられるのは、猫に戻っても、人間のままでも同じだけど、僕は人間のまま麻也と一緒にいたい」

 黙って聞いている麻也の目から涙が溢れて跡を作りながら流れた。

「麻也、僕、人間のまま麻也の側にいてもいい?」

「ええ、ハンサム。わたし、ハンサムが人間のままでいてくれて嬉しい」

「麻也、ありがとう。僕も嬉しいよ」

 ハンサムに優しく肩を抱かれて、麻也はうれし涙を拭いた。

 そうして、また、いつもの生活が戻ってきた。祐希は喜び、母はホッとし、父にはまた悩みの種が戻ってきたようだった。

 森岡聡史はがっかりしたものの、麻也に対する気持ちは変わらず、尾之多博行は、以前より明るくなった麻也を見て、ハンサムを責めるのはやめたようだ。

 土曜日、麻也とハンサムのふたりは遊園地に出かけた。初夏の遊園地は家族連れや恋人同士、若い仲間のグループであふれていた。

 遊園地に来るのが初めてのハンサムにとっては見るものすべて珍しく、初めて遊園地に来た子供のように楽しそうだ。麻也にとっても、ほんの小さな子供の頃に家族で来た記憶しかなく、すべてが新鮮に目に映っていた。

 ジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ったり、あちこちのアトラクションを見る。もちろん、手をつないでソフトクリームを食べる、ふたりの定番の『デート』 もした。

 ふたりが園内を歩いていると、風船売りのピエロが赤い風船を麻也に手渡してにこやかに笑った。

「お嬢さん! 貴女は今日のラッキーガールです。観覧車のペアの乗車券付き風船の特別サービスですよ。楽しんでいって下さいね」

 そして、観覧車の乗車券を二枚ハンサムに渡した。嬉しいふたりは、赤いウサギのような格好の風船を片手に、観覧車の乗車の列に並んだ。

 あと少しで乗れるかな、と思った時、誰かが叫ぶ声が聞こえた。

「伏せろっ! 伏せるんだ!」

 声の方を振り向くと、遠くの方から尾之多博行がこちらの方に向かって走ってくる。麻也はとっさにハンサムの手を引っ張って、頭を抱えてしゃがむようにした。周りの人々は何が起こったのかとただ見ているだけだ。

「風船だ! 風船を放せっ!」

 あわてて風船を放すと、風船はゆらゆらと観覧車待ちの列の後方の空に移動する。子供がひとり手を伸ばして取ろうとした。その時、パアンと音がして風船は破裂した。

「こっちだ!」

 博行がふたりを列から連れ出し、観覧車の操作室の建物の陰に回ろうとする。足元に弾丸が弾け飛んだ。が、発砲の音は聞こえない。幸い誰にも当たらずに、無事に建物の陰に到達した。

「何がどうなっているの?」

「後で説明する。狙撃者はここから時計塔に向かって十時の方向、四階建ての建物の三階辺りにいるようだ。頼んだぞ。ったく、人混みに発砲しやがって」

 と、建物の角から様子を窺おうと顔を出しかけると、弾丸が壁にぶつかる音がして、まだ標的になっている事が分かる。人々にはまだ何が起こったのか分からず、並んだまま避難もしない。

 麻也が目で博行に説明をうながすと、

「例の事件の二次会さ。月影のニセ情報が流されたもんだから、奴らが仕掛けてきたんだ」

 と、説明しかけた時、近くで大きな爆音が響いた。同時に人々の悲鳴が上がった。

 見ると、観覧車を支えている支柱の一つから黒煙があがり、観覧車は傾いて止まった。ゴンドラが異常に大きく揺れ、ゴンドラの中の人々の悲鳴も聞こえるようだ。近くで並んでいた人々は、観覧車が倒れそうになってきたので、蜘蛛の子を散らすように我先に逃げ出した。

「あっ、見てあそこ。大変だわ!」 と、麻也。

 上の方についているゴンドラの一つの扉が、衝撃と揺れで開いたのだろう、斜めになって揺れているゴンドラから、子供の下半身が外にぶら下がっている。

 観覧車の下で、避難せずに残っていた高所恐怖症の母親が恐怖の叫び声を上げた。

「晃~っ! 晃~っ! 誰か、誰か助けて~っ!」

 叫ぶと気を失って倒れてしまった。

「おいっ、まてっ! 今出て行ったら狙い撃ちになるぞっ」

 子供を助けに出ようとしたハンサムを博行が引きとめた。

「でも、僕ならあの子を助けられるよ」

「もう少しだけ待て。おい、捕縛はまだなのか? 爆破の情報はいってるのか? 消防に連絡は? レスキュー部隊はどうなっている? 観覧車から子供が落ちそうなんだ。急いでくれ」

 耳に押し付けたままのケイタイに向かってまくし立てる博行。

 そうこうしているうちに子供の手の力が弱ってきたとみえて、少しずつ体が外に出てきた。ハンサムの腰が浮き上がる。と、バランスを確保した父親が、手を伸ばして子供のズボンのベルトを片手で捕まえるのが見えた。しかし、引っ張り上げようとするとゴンドラが揺れて、なかなか引っ張り上げる事が出来ないでいる。父親も必死だが、うまくいかず、宙ぶらりんのまま、遠巻きに見ている人々の気をもませた。

 こらえきれずにハンサムが飛び出した。飛び出したハンサムの後を追って銃撃が始まる。ハンサムは銃撃に追いつかせない素早い動きで観覧車にたどり着くと、なんとか銃撃をかわして天辺近くのゴンドラの所に登り着いた。しかし、その時、力尽きた父親の手がすべるようにベルトから離れた。ゆっくりと滑り落ちる子供の体。

 と、ゴンドラの上まで来ていたハンサムがジャンプする。片手で子供を抱え込むようにつかみ、もう一方の手で観覧車の枠にぶら下がる。重みと衝撃で観覧車の枠組が軋み、揺れ動いた。下で見ていた人々の間から、恐怖と感嘆の声が上がる。

「ハンサム!」

 手が白くなるほどギュッと握り締めたままの麻也の肩を博行が両手で包んで言った。

「大丈夫、あいつを信じるんだ。狙撃者も捕まったようだからもう心配ない」

 片手でぶら下がっていたハンサムは、態勢を立て直すと、両足と片手を使って器用に移動し、一つ下のゴンドラの屋根の部分に飛び移った。そこで子供に自分の体にしがみつかせるような格好をさせると、枠を伝って、ゆっくりと下り始めた。

 その頃になってやっと消防車のサイレンの音が聞こえてきた。梯子車が到着し、梯子が観覧車に伸ばされた。だが、梯子の高さは観覧車の途中までしか届かない。

 ハンサムは梯子が届いている所まで移動する。梯子の所で待ち構えていた消防士が子供を抱きかかえると、下から歓声と拍手が沸き起こった。

 消防士の後に続いて梯子を降りるハンサム。麻也の顔を探しだすと、にっこり微笑んだ。だが、麻也の肩に博行の手が掛かっているのを見ると、胸の中に熱いものが沸き起こるのを感じて、微笑を滞らせた。ハンサムは、麻也に対する自分の気持ちが人間としてのものだという事に気がついたのだった。

 梯子を下りてふたりに近づくと、

「ほら」 と言って、博行がハンサムの方へ麻也の肩を押し出す。

 ハンサムは震える手でおずおずと麻也の肩を抱きしめた。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈48.月の石〉

 麻也の心はざわめいた。あの紳士は一体何者なのか。公園の方角に歩み去っていく後姿に遭遇した麻也は、迷わず小走りで後を追った。しかし、麻也が追いつく前に、それは起こった。

 公園の中から木の枝が道に飛び出して垂れ下がっている所で、紳士が立ち止まる。立ち止まると、まるでそこの空間自体がどこか別の世界と繋がってでもいるように、紳士の姿はするっと空中に吸い込まれるように姿を消した。

 最初に出会った時、塀の影の中から現れたように感じたのは、同じように現れたためだったに違いない。一体、どういう理由で、何の目的で、この世界に不思議の石を置いていくのか。立ち尽くす麻也に解答は想像できなかった。

 ともあれ、麻也はガチャガチャの器械の所に戻ると、コインを入れる。前はたった一回で出たのに、今度はなかなか月の石が出ない。幾つものハズレの後に、最後のコインを入れると、月の石のカプセルが麻也の手の中に入った。

「ねぇ、ハンサム。もし、猫に戻れるとしたら、戻りたい?」

 寝ていたハンサムを起こして聞く。

「えっ? どういう事?」

 麻也は震える手で月の石を差し出した。

「フランソワはきっとまだあなたの事を待っているわ。あなたが望めば願い事が叶うはずよ。今夜は満月だもの」

「麻也。麻也は僕に猫に戻って欲しいの?」

「ううん。そうじゃないわ。でも、ハンサムの人生はハンサムのものよ。ハンサム自身が選ぶべきなのよ。わたしの勝手で人間になってしまったけど、まだ遅くはないわ。戻ろうと思えば戻れる。その石の不思議な力で」

 知らず知らずのうちに涙が溢れてきているのに気づいて、顔をそむけて涙を拭う。

「麻也。僕が猫に戻っても飼い主のままでいてくれる?」

「もちろんよ。フランソワも一緒に飼ってあげる。きっと可愛い子猫が生まれるわね」

 顔を上げて笑顔で言うと、麻也は、起き上がって考え込むハンサムをそのままに、布団を頭まで被ってもぐり込んだ。そして、声を出さずに涙を流し、涙のうちにいつしか眠ってしまった。

 朝の光に目を覚ますと、麻也はひとりベッドにいる事に気がついた。寂しさが押し寄せてくる。でも、ハンサムがいなくなるわけじゃないわ。そうよ、ひとりぼっちに戻るわけじゃない。フランソワだってきっと戻ってくれるし・・・。そう思いながら、手の動きが止まりそうになるのを、一生懸命自分自身を励まして、朝の台所に立った。

 ハンサムはフランソワを探しに行ったのだろうか。姿が見えなかった。二匹分の猫の食事の準備も済ませて、学校に向かった。

「おはよう、麻也」

 講義室の前で、尾之多博行が声をかけてきた。すると、その後ろの方から森岡聡史もやってきて、

「麻也さん、おはようございます」

 ふたりとも学部は違うが、同じ大学に入学したのだ。教養の講義で時々同じクラスになる。

「どうしたんだ? 夕べ泣いただろ。あいつ、浮気でもしたのか?」

「なんでもないわ。ちょっと不思議なことがあって、それで」

「不思議な事で瞼が腫れるほど泣くって?」

「そうですよ。もしも、月影さんが麻也さんを泣かしたのなら、僕だって黙っちゃいませんよ」

「本当になんでもないの。大丈夫だから。それより講義が始まるわよ」

「今晩、お前の家に行くぞ。覚悟しろと月影に言っとけ」

「僕も行ってもいいですか?」

「来ても構わないが、邪魔はするなよ」

「麻也さん、麻也さんはひとりじゃありませんからね。僕も尾之多君もいますからね。負けないでください」

 その言葉を聞いて、ふっと麻也が微笑むと、博行も聡史もほっとしたように講義に耳を傾け始めた。

「おかえりなさい、麻也」

 家に帰ってくると、母が出迎えた。麻也の帰りが遅くなるため、平日の夕食は母が支度をするようになっていた。いつになく優しく母が麻也の肩に手をかけて言った。

「麻也、月影さんと喧嘩でもしたの?」

「え? いいえ、してないわ。どうして?」

「神楽坂さんから電話があったの。月影さんを家に泊めるって。ひとりになって人生を考えたいって、言ってたそうよ」

 では、夕べは月の石は使わなかったのね。

「麻也、何かあったのなら一人で悩まないで相談して頂戴。これでも一応あなたの母親なんだから、一緒に考えさせてね」

「ありがとう、お母さん」

 ハンサムがいない事を聞いた祐希が麻也の所にやってきた。

「お姉ちゃん、大丈夫だよ。ハンサムはお姉ちゃんの事が大好きだから、きっと帰ってくるよ。僕の勘は当たるんだ。前だって当たったでしょ。僕、お姉ちゃんとハンサム、ふたりとも大好きだよ。だからお姉ちゃんはひとりじゃないよ」

「ありがとう、祐希」

 胸の中に暖かい気持ちが一杯溢れてきて、麻也は弟を抱きしめた。

 夜になると博行と聡史がやってきた。

「ふ~ん。あいつが人生を考えるって? で、別れるつもりなのか?」

「分らないけど、・・・」

「夕べは月影さんがよそに行っちゃったから寂しくて泣いていたんですね。分ります。麻也さんに好きな人がいるって分った時、僕、一週間くらい泣きましたから。でも、僕は今でも誰よりも麻也さんが大好きです。月影さんだけが男じゃありませんよ。麻也さん、僕が待っている事を忘れないで下さい」

「待っているのは聡史だけじゃないからな」

 ハンサムがいないので拍子抜けした二人だが、麻也に明るさが戻っているので、気分を良くして帰って行った。

 母から二人が訪ねてきた事を聞いた父は喜んだ。

「尾之多博行って、あの誘拐事件の時に訪ねてきていた男子生徒だろ? 彼は尾之多コンツェルンの会長の孫らしいぞ」

「あら、そうなんですか?」

「ああ。数年前、会長の息子が亡くなった時見つかった、隠し子だって話だけどな。麻也と同じ大学に進学した事は聞いていたが、これはもしかすると、もしかするぞ。この際、あいつの事は忘れて、そっちと結婚してくれるといいんだが。ダメならその森岡って奴でも構わん。あいつでなけりゃ」

「麻也に怒られますよ」

「うっ。麻也には言わんでくれよ」

 顔をしかめながらも、ハンサムがいなくなったのでホッとしている父だった。

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ハンサム・ザ・キャット~捨て猫物語~ 〈47.月夜のいざない〉

 窓を開けると五月の風が緑の薫を運んでくる。麻也は清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んで大きく伸びをした。連休で休みの日、麻也はハンサムが働いている建築現場にお弁当を持って訪ねて行く予定だった。

 麻也が行ってみると、ハンサムは建築資材を運んでいた。陽光の中、立ち止まって、首に巻いたタオルでキラキラと光る汗を拭う。逞しくなったハンサムを見て、麻也は眩しく目を細めた。

 ハンサムはまだ麻也が近づいている事に気がついていない。汗を拭く手をふと止めて、ある方向を見つめている。麻也はその視線の先をたどってみた。

 そこは五月の木漏れ日の中、近所の猫達が思い思いのままに寝そべって、毛繕いをしたり、昼寝をしていた。視線をハンサムに戻すと、ハンサムは少し微笑んでじっと猫達を見ている。

 麻也は胸の底に何かが刺さったような気がした。立ち止まったまま、時を失ったような表情でハンサムを見つめる。

「お~い。昼にするぞ」

 誰かの呼びかけでハンサムは我に返り、声の方に首を回して、麻也に気がついた。

「麻也!」 嬉しそうに駆けて来る。

 麻也も我に戻って、むりやり微笑むと、持ってきた大きな弁当の包みを持ち上げて見せた。

「いいなぁ、月影。今日は麻也ちゃんと一緒にお昼か」

「うん。今日は麻也の学校がお休みなんだ」 

 仲間の声にウキウキと返事をする。

「ヒュー、ヒュー、あんまり見せつけるなよ」

「麻也、どうかしたの?」

「なんでもないわ。食べましょう」

 二人でお弁当を広げていると、仲間が覗きに来た。

「ほう。いいなぁ。愛妻弁当か。鶏のから揚げに、ツナサンドに、卵焼きに、エビフライときたもんだ」

「あの、よろしかったら、皆さんも召し上がってください。たくさん作ってきましたから」

「いいのかい? じゃあ、オレ、このタコさんウィンナもらおうっと」

「じゃあ俺も、麻也ちゃんお手製の卵焼きいただきっ」

「あっ、ずるいぞ。それはわしが狙っていたのに」

「まだまだありますから大丈夫ですよ」 と、下の段の重箱を開ける。

「ひゃあ! 豪勢だね! しあわせもんだね。月影」

「うん。僕、とってもしあわせ」

 大きな鶏のから揚げを頬張りながらハンサムが言う。

「ひゃあっはっはっはっ! 熱いねぇ。やけるねぇ」

 穣さんの笑い声がはじける。

 お昼の一時が終わると、再び仕事にもどるハンサム。麻也はハンサムが働く様子をしばらく見ていた。ふと、先程の木陰を見ると、猫達は相変わらずゆったりと、五月の午後のひとときを楽しんでいた。

 夜、麻也が勉強をしている側のベッドでハンサムは寝ていた。肉体労働で疲れるのだろう。いつも麻也より先に眠りにつく。ベッドは、母が入学祝にセミダブルに買い換えてくれていた。

「ハンサム、お仕事辛くない?」

 勉強机の所から小さな声で話しかけると、ハンサムはもぞっと動いて寝返りを打って、目を覚ました。

「ん? なぁに、まぁや? 何か言った?」

「ハンサム、お仕事疲れるでしょ?」

「うん。でも、もう慣れたよ。穣さんやみんな、いい人ばかりだし。楽しいこともあるよ」

「そう。それならいいんだけど」

 すぅっと瞼が落ちて眠ってしまうハンサムを見ながら、少しほっとしている麻也。窓を開けて、五月の夜の静やかな夜気を吸い込む。夜空に煌々と満月がかかっていた。

 ふと、近くの屋根の上を白っぽい猫がゆっくりと歩いているのに気がついた。猫は麻也の視線に気がついたように、こちらを窺うような仕草をした。

「フランソワ?」

 まるで、こちらに来て欲しいと言う様な猫の素振りに、麻也の胸は騒いだ。ハンサムはぐっすり眠っている。カーディガンを羽織ると、ひとり、家を出た。

 猫は麻也が出てくるのを待っていたかのように、麻也を導くように、距離を置いたまま歩き出した。

「この道は・・・」

 路地裏の道に来ると、猫は鉄製の階段の所で立ち止まってこちらを振り向いた。麻也が目を凝らすまでもなく、そこに、あのガチャガチャの器械が設置されていた。

 猫は麻也がそれに気がついた事が分ると、その場から離れた場所に移動して、麻也の様子を窺っている。麻也は機械の所に行って、触って現実である事を確認する。そして猫の方を見ると、猫は遠く去って行く所だった。財布を持っていない麻也は、その夜は家に帰ることにした。

 ぐっすり眠っているハンサムの屈託のない寝顔を見ながら、麻也は眠れなかった。陽光の中のハンサムと猫達の姿が瞼の裏に浮かび上がる。

 猫のままであればしなくても良い苦労の数々。猫のままであれば叶うはずだった夢々。すべてわたしの望みのままに翻弄してしまったハンサムの人生、いや、猫生。もどる事が出来るのなら、それをハンサムが望むなら、叶えてあげる事がわたしのしてあげられる唯一の事かもしれない。

 翌朝早く、麻也は五百円玉を幾つか持って、例の器械の所に行った。しかし、麻也は器械を見つけることが出来なかった。

「どういう事なんだろう?」

 はた、と、思い当たる。夕べも満月だった。あの時も。もしかすると、関係あるのかもしれない。麻也は幾度か足を運んで器械がない事を確認すると、次の満月を待つことにした。

 満月が来るのを待ちながら、麻也はハンサムが人間でいる掛け替えのない時をなるべく一緒に過ごそうと決めた。

 土日はふたりで自転車で遠出をした。手をつないでソフトクリームを食べて、たこ焼きを食べて、ふたりで土手の陽だまりに寝ころんで空を見上げた。

 小高い山に登って、緑の中、鳥や虫と追いかけっこしたり、せせらぎに足を浸して小魚を追ったり。夕焼けを見ながら、キラキラ光る川の水面に石を投げて遊んだりした。

 幸せな時は足早に過ぎるもの。次の満月の夜、溜めておいた五百円玉を持って、麻也はひとりで路地裏に向かった。

 月の光の中、それはまるで魔法のようだった。再びあの紳士がそこに降り立っているのを麻也は見たのだった。

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